無料配信で野生の猿のドキュメンタリーを放送していた。
昼下がり何となく観ていた。
母猿が死産しても我が子を抱えていた。
既に子供は腐敗して骨がむき出しになって猿の形ではないのに。
どこに行くにも母猿は抱えていた。
私と同じね。あなたもそうなのね。画面越しに一人私は独り言を言った。
無理をすれば産めない状況ではない。けれど、既に私には20歳を超えた子供たちがいる。
社会人になり、独り立ちしている。今や子供は大人で夫も私にも気を使ってくれる存在だ。
孫の顔も見られる日は近いだろう。
年齢を経た女性でも妊娠はするのだ。
夫は男だ、女性の体に無頓着なのは当たり前だ。
良く働く良い夫だ。勿論夫婦の良くある痴話げんか程度はする。
この年齢で体を求めてくるのは幸せな部類と言うのかもしれない。
私はだからこそ断るのをを躊躇ったし、好きな時に求められて拒否はしなかった。
夫が大事だった。
その結果、三度の秘密の妊娠をした。
既に出産経験もあるのだから妊娠の兆候も、陣痛も知っていた。
母子手帳は取得はしなかったし、産婦人科にも行かなかった。
出張の多い夫の仕事を有難いとさえ思ったのは出産のときだ。
私はもともと太っているせいもあり、夫も私が少し太った程度だと思っている。
見た目にはわからなかったし、筋の通らない出産を覚悟の上だから隠し通す。
最初は陣痛が始まるときに準備に手こずったが次からは要領を得ていた。
風呂場に湯を張り水中で出産に挑んだ。
二度目は逆子で足から出てきてしまい、自力で引っ張り上げた。
血だらけの浴槽で、水中で子供を抱いた。
そして産声は一言も聴く事は赦されなかった。そしてこの手で沈めた。
紫色になった息をしない我が子を一生分の気持ちで抱きしめる。
勿論これは罪だとはわかっている。
自分の都合と罪を全てこの子に持って行って貰おうとしているのだ。
赦されるはずはない。私自身が赦せない。
抱いた子供に赦してくれとも言えるはずはないのだ。
遠く離れた所に遺棄などする気は毛頭無かった。
いつも、傍で罪に囲まれて私は過ごすつもりだ。
仰々しく、大袈裟なものに入れる事は出来ない。
家にあって不自然ではないものを考えた結果、手ごろなバケツに入れる事にした。
勿論許されるなら素敵な可愛らしいものに入れたい気持ちはあった。
丁寧に、丁寧に飾っていつも傍に置いて置きたかった。
子供たちが離れた家とは言え、夫が何かの拍子に見つけてしまったら、それは
私が一番恐れている事だから。
タオルで小さな体を幾重にも巻き、サランラップで同じように幾重にも巻く。
一見してサッカーボールのように見えなくはない。
蓋をして台所に置くときもあれば庭に置くときもある。
3つのバケツはいつも私と一緒だ。
もし、このバケツが発見された時、私は人でなしと言われるだろう。それは覚悟だ。
異常者だとも。鬼畜、殺人者、冷血な女。何とでも言われても良いのだ。
私は、夫と静かに暮らして行きたかっただけ。
いつか子供たちが名前のある孫を授かったとき、罪の気持ちが湧いて来ることもあろう。
全て覚悟の上だ。
卑劣な人生なのかもしれない。
でも私が選んだこと。
今日のニュースで赤子が3つのバケツに入れられていた事件を聞いた。
私の中で子供は愛されていたのだと置き換えたく書いてみた。
あくまでも想像。
そして、3人の子供が静かな死後を送っていることを願う。