少しずつ日常に | げんきげんきでFX

げんきげんきでFX

FXやってて良かったとつくづく思う今日この頃

葬儀は無事に終わり、

少しずつ日常に戻っております。

 

(私の友人から届いたお花。ありがとう)

 

 

 

もう少し母のことを書いていきたいと思います。

 

母は昨年、2018年の11月の初めにうちに来ました。

 

きっかけは母が自宅で2日連続ひっくり返っていたこと。

 

こりゃもう一人にはしておけない、とうちに連れてきたのです。

 

それまでにも、一緒に住もうと言ってうちに呼んだことが数回あったのですが、

その度に、勝手に帰っちゃう、とか喧嘩して帰っちゃう、とかの繰り返し。

 

一人暮らしの気ままさが好きな母にとって、

同居は別に魅力的でもなんでもないものだったようですが、

今回ばかりは諦めてうちに来てくれていました。

 

それでもやはり干渉されることは好まず、

お互いなんとなく気ままに暮らしていました。

 

それが、

11月下旬に3日間食道静脈瘤の手術で入院してからは、

ちょっとポヤッとすることが増えて、

足腰がもともと丈夫でないこともあり、出かけるのが心配になっていきつつも、

うちの周りは坂もないし階段を使わなくても移動できるところしかないので、

まあ大丈夫かな?と安心していました。

 

12月14日、美容院(ビルの2階で階段のみ)に行くと言って外出しようとした母に、

 

「大丈夫?私が行ける日に一緒に行った方がいいんじゃない?」

 

と伝えるも、

 

「大丈夫よ!行ってくるから!」

 

と突っぱねられまして、

まあ何かあれば電話がくるだろう、と思いながら仕事をしていたのですが、

電話もなく、

娘に聞いたら夕方帰ってきたとのことで、

よかったなぁと思い仕事を終えて家に帰り母の部屋のドアを開けたら、

 

真っ暗な中でダウンジャケットを着たままベッドに横たわる母がいました。

 

どうしたの?と聞いたら「寒い・・寒い・・」と。

 

暖房を強くしてパジャマに着替えさせて毛布をかけて休ませました。

 

そしてこの日を境に、母は認知症状が強く出るようになりました。

 

年末年始でほぼ全介助状態となり、

さあこれから本格介護のスタートだわ、と、

 

カメラをつけて、介護ベッドを入れて、往診医を頼み、ヘルパーさんやデイの利用を始めていこうとした矢先の1月17日、

 

パパパっと旅立っちゃいました。

 

本格介護はたったの約1ヶ月。

 

世話をされることを特に好まない母らしい旅立ちで、

考えれば考えるほど、

笑っちゃったり、でも泣いちゃったりするのですが、

 

最後の1ヶ月の母は本当に可愛くて可愛くて、

赤ちゃんみたいに可愛くて、

 

憎まれ口を叩き合ったことや、

お酒でひっくり返ってその度にクダ巻かれたこと、

急性アルコール中毒で救急騒ぎ数回・・など、

すべて帳消しになるくらい可愛くて。

 

排泄や入浴や歯磨きのお世話、

1日に何度もの洗濯、着替え、

ちっとも辛くなくて・・。

(母が軽かったおかげもあります)

 

親子のわだかまりみたいなものが、

パーーーーーーッ!!と消えた1ヶ月でした。

 

最後にこんな時間を持つことができて、

本当に幸せだったと思います。ありがとうね。

 

 

2000年の母のお誕生日に送った自作のあみぐるみ。

母がよく着ていたセーター(画面手前)を模して作りました。

 

今回旅立ちのお供に連れて行ってもらいました照れ