ワイン考察記 -9ページ目

ワイン考察記

ワインの味わい方、楽しみ方をなるべく簡単な軸で考察したい

今日は、朝から体がだるく、まあ昨日重要な案件は片づけたので、余裕があることもあり、うとうとしていたら、9時30分。
なんと時計進んでないし、、、7時で止ってる、どうも落とした時に、スタックしたらしい、、、。

しょうがないので、午前半休にして、貯金箱を持って郵便局へレッツゴー。
僕は、小銭入れを持っていないので、おつりはポケットへ、そして帰宅後、クッキーの缶へ。4月から貯めていたのが、いっぱいになったのだ。
郵便局でケースに開けると、少額は募金することも多いため、結構銀色が目立つ、、、はい、42051円ありました。
これは、無駄づかいせよという神のお告げなのか、それとも、人にごちそうせよというお告げか、、、ひとまず、お昼はきちんと食事をすることに、、、

ということで、11時の開店後の○イクライトンに滑り込みました。
他にお客はいないので、窓辺の一等地を確保。
バリ風のインテリアと巨大な吹き抜け、泉もあって、全面ガラスから光がさして、いい雰囲気です。
ただ、まあよくあるハリボテなんちゃって高級リゾートでした。
味と価格は、なんちゃってで、サービスもsuperficalなので、たぶんもう行きません。インテリアはいいけど。

そういや、昨日はカレーの竜で、その前はJにいったので、最近結構食べ歩いてます。
竜は味はまあまあだけど、ここら辺では、やはり神南カレーともくばざがダントツ。
Jは新しくできた店で、味もサービスも値段も最高です。
先日は、
温野菜
スープ
アボガドとなんとかのラザニアだっが、アボガドなくて、サツマイモのラザニア
はちみつ茶
揚げバナナで
このラザニアがちょーうまいんですよ。
なんというか、味のバランスが絶妙で、ふわっと口の中でラザニアが広がりるんですよ、、、うーん、文才ない
そんで、はちみつ茶ははちみつ入れてないのに、ティーバックではちみつ味が満載で、ポットサーブで4杯分もあり、揚げバナナの甘みと揚げのバランスとサクサクとにょろりのバランスが最高なんですよ。
ま、Jって名前じゃないんですけどね。
J○○○○○。

てな感じで飯食った後に会社行って、今日は暇なので、仕事したふりをして。
定時になったので、フレンチデリにでも行きたかったんですが、心を鬼にして、牛丼屋やへ。
なぜなら、僕の長い落し物歴が語っているのです。
結構預かっている落し物を真面目に確認しない店員が多いということを。
ということで、昨日の朝行ってないといわれたにも関わらず、再度牛丼屋へ。
だってあの店員、若干いいかげんぽかったし。
置き忘れたのと同じぐらいの時間に、もうひとつもっているノートばさみをもって、牛丼食べて、いつもその時間にいる中国人の店員に聞きました。
にこっと笑って、ありますよ。ちゃんと見てましたから、、、
はよださんかい、、、
はい、これでしょ。
ありがとう。
ということで帰ってきました。
中身も全部そろってました。
というか、はいって、くれましたけど、それはそれで、問題あるような。
この店は、落し物は、店員の個人管理なのかい、、、
ということで、店員のいうことを真に受けてはいけないということがまたしても立証されたのでした。


先日は、勤務後に自分が司会の会合があったので、仕事を定時で終わらせねばと思い、がんがん働いたのはいいのだが、ぎりぎりまで働き、さあ退社して電車に乗ろうと思いきや、財布がない、、、

会社に戻って、財布を回収するも、携帯電話は朝から家に置きっぱなしらしく、携帯ないので、しょうがなく公衆電話から遅刻の連絡を、、、

そのあと、なくしたらしきものが、カシミアのまふらにノートばさみ。
ノートばさみは、ノートカバーにノートと絵葉書と切手を入れているんですが、これが、アイデアメモにお気に入りの絵葉書なので、これをなくしたのが一番痛い、、、

あちこちで買った絵葉書とあちこちで思いついたメモなので、すぐに取り戻すというわけにいかんし。

しかし、どこに忘れたんだろう。

昨日は、牛丼屋で飯食って帰ってきたので、牛丼屋しか思い当たらないので、今朝、牛丼屋で聞いたんですが、ありませんでした、、、

うーん、昨日は、朝からなぜか歩いていたら、掃除をしていたおばさんに傘あるよと謎の挨拶をされ、そんなに傘なしで哀れに歩いていたのだろうか、、、丁寧にお礼は言っときましたが、、、お昼は調子こいて、温野菜、ズワイガニと小柱のグラタンにはちみつティにティラミス食って、ご機嫌でアイデアメモを書いていたから罰が当たったんだろうか、、、

しかし、まふらもたぶん飲食店なので、最近いった飲食店をさかのぼると、うーん、おいしいものを再度食べる羽目になり、恐ろしい事態になりそうだな、、、

とりあえず、旅行代理店からきた旅行のメールを見ていたら、どこかに行きたくなったので、神戸にいって、つまがりでケーキ食って、麻耶山のオーベルジュとやらにでもいくことにする。

うーん、またなにかなくしそう。
かなり怒涛の1週間だった。
毎日体力切れというより、脳みそ使いすぎの飽和状態で死滅という感じ...。

でもなんとか、今年の新しいイメージが見えてきたので、やはり限界までやってみるのも悪くない。

ということで、早くも今年は路線変更で、聖なるキツツキ年間になりそうな予感。キツツキじゃなかった。嘘つきだった。

ローソンで新商品の鶏肉シソフライが売っていたので、思わず2個買ってしまい、かつ丼まで食べたら、今度は一転して、おなかがもたれてる...。
僕が適切・適当を知る日は来るのだろうか?

肝、焼けるはふーんという感じで、そのあとの短編もふーんという感じでいまいち頭に入らず、コマドリさんのことが意外に面白く、いやいややはり普通というならこれぐらいやってくれなきゃ、現実にはいないだろうけど、いたら素敵なコマドリさんと思って、四季カタルにさかのぼり読んだら、なんとなく朝倉かすみの読み方が少しわかったような気がする。
この微妙な心理が読めないと面白くないんだろうなあ。

本日の会は、ブランドの裏側の物語を参加者が語り始めた面白い会だったと思います。配布資料も含め、思うところを書いてみました。

★シャネルのスーツが似合う雰囲気を持った女性になりたい 
 多様な解釈があり、多様に読めるのがいい文学だと思っていますが、僕は、この文を主人公は自分の未来をシャネルにしか投影できないとは読みませんでした。 

 僕が取り付かれている解釈のポイントは、「似合う雰囲気を持った」です。シャネルをきていたいでもなく、シャネルが似合うでもなく、似合う雰囲気。

 似合うということで、ここには、シャネルというブランドに対するイメージが暗に語られています。シャネルのスーツに代表される華美ではないが上質な仕事をする上で最適なスーツということです。それが似合う自分になりたい、職業を特定しないことによって、どんな仕事をしていたとしても、そのように振舞う自分、いや振舞うではなくそのものでいたいという意図と解釈可能です。そして雰囲気です。見るからにバリバリ仕事ができる女ではいやなのです、シャネルをきていなくてもシャネルをきているように見えるのが雰囲気です。つまり有能であっていても、その有能さにおぼれることなく、自然体でいたいというのが雰囲気と思います。
これにより、「が似合う雰囲気を持った」とすることで、ブランドを語りながらも、そのブランドを使って、自分の物語を描き出しているのだと思います。(ブランドとは結局、物語の付属した名札だから)

 そして、これも注釈なしで最後にぶち込んできた著者ペログリ、あなどれないです。
 散々、注のつけ方と本文の解釈の仕方を小説のここまでの部分で書いてやったんだから、最後は自分で注をつけ、解釈しろよということなのでしょうか?意図してやっているなら、この小説は、すごいし、意図していなくても、そう読めるだけでも、すごいと思います。

 最後は、すごいと月並みな形容詞になってしまいましたが、いい一文だなあ、そして、ここにフォーカスを当てる主催者、にくいです。


★小説のラストと最後に記された出生率のデータの関係
 小説の添付として、出生率のデータとたしか年収分布のデータがついています。そして、出生率のデータは、年収分布のデータより前に添付されています。年収分布のデータと小説の背景の関係は、読み取りやすいものですが、あえて、相関性を読み取りにくい出生率のデータを前に持ってきたものと思われます。小説の余韻として、つまりディジェスティフ(食後酒)として準備されたのは、出生率。

 これをたしなむとすれば、どうしましょうか?
 結構、ハードなディジェスティフです。

 第一義的には、既に溢れている物は、今後も溢れていくということになります。事実、バブルを経て、その後「もう消費すら快楽でない彼女(注)」の時代になっています。(注:田口ランディのエッセイ。1999)。その後、デフレ不況になったので、デフレ不況における価値観として語ることもできますが、余韻として、溢れるという文脈から味わうとしましょう。

 これからは巷にブランドが溢れるよ、ブランドの洪水の中で、どうする?という酒ですね。

 ブランドの海を優雅に泳ぐのもよし、強烈なブランドのひとつになるのもよし、どうするという酒ですね。ハードだからこそ、うまい酒ですね。はい、一晩語れそうです。

 ちなみに、デフレ時代のブランドとしては、普通という名のブランド、不安という名のブランドがあげられると思います。なんとなく、クリスタルは、ブランドの物語ではなく、ブランドを楽しむ物語ですから、バブルでもデフレでも共通するテーゼかと思います。

 普通という名のブランドは、普通でいることが一番難しい、普通でいるっていうこともまた価値があるんだというブランドですね。これはこれで、堅実ないいブランドだと思います。ただ、人間は、普通でないものも求めてしまう、否定しても否定しきれない貪欲さを遺伝子の中に持ってしまっている哀しい(注)生き物だと思います(注:結果的にそのような遺伝子を持っているものだけが生き残っており、理性が否定しても、生き残った生物として特性と優位性を、自分自身が包含しているという事実を否定し得ないということ)。生き残っているという不安に安定をもたらすのが、普通という決して自分だけが他を犠牲に今ここに存在しているわけではないという物語であるわけです。
その文脈からは、不安という名のブランドを消費することの意味を理解するというのは、この時代にあって、意味をもつことだと思います。

 つまり、もう不安すら快楽である時代に入っているのです。

 我々は不安にさらされて生きていると思っています。これは、よく日本人は、リスクゼロという現実的にはありえない世界に生きていると錯覚しており、生物が生まれ、進化してきた環境、生存しているという勝ち得てきたものを理解していないからだといわれています。たしかに、日本人は、生存権など各種権利は、そもそもそんなものは存在しないのに、それを勝ち取ってきて、普遍的価値として使うことができているという仮定を共有的価値観として分かち合うことに合意することにしましょうという感覚(注)に、現時代をきりとると、疎いかもしれません(注:ここは理解できなくてもスルーするところです)。
しかし、間違いなく不安を消費するという人間の特性は、日本人であれ、人間は理解しています。それを本質的に感じているか、言語的理屈的に理解しているかの違いはありますが。

 日本のマーケティングを見ると典型的にそれがよくわかるでしょう?保険のCM、各種購買意欲をそそるコピー、イメージ戦略、週刊誌、新聞の記事のまとめ方(これは一般紙も含みます。一般紙では、有識者のコメントの切り取り方、読者の意見の紹介の仕方に形が変わるだけで、より複雑にやっているだけです)を見ると、そこには、不安をあおる戦略が各種溢れています。不安というのは、その人の心の中に生じるものですから、明確にこれこれこういう不安材料がありますなどとはいいません、それでは不安は煽れません。不安を煽るには、そう匂う素材をたきつければいいのです、そうすれば、受け手は、自分のなかでそれを再生し、不安という新たな物語を作るのです。つまり、不安という名の物語を形成しているのは、受け手そのものであり、不安を消費する受け手が多いから、不安というマーケティングが日本では有効であるのに過ぎません。

 そう結局、素材を不安という物語で読み取り、本人にはその気がなくても、無意識化で楽しんでいるのです。不安と同情、一体感という物語を形成するために。だから、この物語の行く末は、経済成長でも、革新技術でもないのだと思います。不安に対し、同情と同一であるという一体感が溢れたとき、そのときは、もはや不安は消費対象として楽しめないものになります。そして、消費の対象は、今度は、冒険と他との差別化に移るでしょう。そう、人間は、しょせん、完全に一人であるという超人にもなりえない神になりそこなった生物であるにも関わらず、大衆の中の一部品であるアリにも実はなりきれない強欲な生物なのです。だからこそ、いまここに存在しえているのに、それには触れないようにしましょうねというお約束のもとに生きているのに過ぎません。でも、ニーチェの言うところの超人でもアリでもなくても、まったく問題ありません。常に超人やアリでい続けることはできないというだけで、瞬間瞬間を切り取れば、超人でありアリであったりしているのですから、それはあまりにも狭いポイントでの超の人であったりするので、自分で気がついていないだけです。そのうえ、人間はすぐ普通であるというブランドを消費してしまうのです、短期的に吸収され消費される物語として。

 物語を新しい章に進めるなら、同情してあげればいいのです。もううんざりして、食えなくなるまで、だって消費しているだけなのですから。

 とちなみに以下の不安話の方が長くなってしまいましたが、しょうがありません、だって不安っておいしいお酒なんですから。


★軽薄さの面白さも否定しないけれど、文学の批判性とは、やはりもっとマシなものではないだろうか?
 とある著名人のコメントですね。この方の自伝的私小説にあたる小説を読みましたが、申し訳ないけど、古臭いカビの生えたもののようにしか読めませんでした。勿論、読み手の能力下ではということです。この方は、なぜ人を殺してはいけないのかと問いに対し、なぜ人を殺してはいけないのかと問う人間性そのものがおかしい、社会が壊れかけていると(いう趣旨のことを)こたえた方です。自分の影響力を考えて、わざとそういっているのならいいのですが、正直、僕はつまらんです。
 日本における文学の批判性は、明確に言語化されたものだけなのでしょうか?もしそうなら、なぜ人を殺してはいけないのかと問いに対しても、言語で明確に答え、現在の学問的には、ある答え(注)に達している(注:答えは、子供のための哲学対話:永井均などにも紹介されているので、興味があればそちらを参照してください。一応私も、直視したくない事実を言いふらして歩くほどまでの悪趣味な人間ではないので)ことを認め、それに更に批判を加える態度が必要かと思います。
 明確に言語化されたもの以外の文脈にも重きをおくならば、軽薄さの裏側に描かれている世界を読まずして、なにが面白いのでしょうか?それを批判するなら、暗喩とユーモアをもって批判するべきであって、軽薄さを中途半端な正直さで批判しても、大衆の一員でしかないと思われます。
 この方に関しては、期待が大きいゆえに、きつい批判的な見解になってしまいますが、その批判の先にまだまだ、この方の描く世界があるのではないだろうかと、まだ期待しているがゆえにの見解なので、もう少し、著作を読んでみようとは思っています。

 
おまけ資料に関係する雑記:
・原発事故:どのように情報を隠し、誤った説明を繰り返したのか
 正直、技術系の人間としては、これまでこの手の本で、大衆受けする物語に沿って、不安を煽っているもの以外のものを読んだことがありません。それ以外のものがあったら、興味深いので、きちんと読みたいと思っているのですが、はなから、そこに完全な世界があり、完璧に役目を果たす任務を持っている人間が、かわいそうな大衆であり、皆さんと同じ市井の人間である私をどのように貶めたかという物語にあうように情報をつなぐので、つまらんです。
 現実は、不完全な人間たちが、それぞれ異なる完全な世界を求めて、交差するのであり、それゆえに面白いのに、それを画一的な物語に当てはめた段階で、不安を消費する商品のひとつでしかなくなっていると思います。そのように考えるわたしは、どす黒いのでしょうか?Black is beautiful.という言葉を胸に今日も、不安と同情を吐きそうになるぐらいあじわいませう。

・平家物語を読む
 あえて、平家をぶちこんできたところがかわいいです。
 ぶちこんでいる様を想像するだけで、今日のご飯がおいしく食べられます。

・日本にオートクチュールの顧客はほぼいない。
 これは、ライフスタイルとも関連すると思います。
 外資系の会社で上司の高級な服をブランド名を挙げてほめたら、これだから既製品はいやなのよと特定されたことを逆に不快に思われたという笑い話を聞いたことがあります。
 このような消費傾向の違いに加え、住環境が大きいと思います。
 欧州では、戦争があったとはいえ、石文化であり、古い建物がそのまま残っており、照明ではなく、影の映える環境です。それゆえに、原色系よりくすんだ色の方が、環境に調和し、映えるのです。肌の色の問題もあると思いますが。一方日本は、木造ということもあり、リニューアル、モザイク、ライティング文化なのです。古来の日本と比較し、賛否はあるかと思いますが、現在の環境がそれなので、原色をさけても、それなりに彩度のある服で、明確な色合いを楽しむので、オートクチュールのようにすごく限定された組合せ、色使いの商品でなくても、十分、楽しめるのです。そして、きちんと日本の環境、日本人の格好にあう商品を開発し、市販品として売り出す開発力も持っているのです。そう考えると、オートクチュールとは、もはや商品を買う場ではなく、社交を楽しむ場なのかもしれませんね。たしかに、パリでは、ヴィトンもブシュロン(そんな感じの名前の宝石店)も、普通の人(日本人の普通は、パリではけっこうお金持ちの部類ですが)を店に招待し、シャンパン出して、商品見せてくれますしね。別に買わなくても、そんなの度外視して、最高級のものを見せて触れさせてくれます。そういった意味では、贅沢な気分になれる工夫というのが日本ではまだまだ足らないのかなあ。


 あーあー、アルマーニのスーツが似合う雰囲気を持った男になりたい
お気に入りの読書会の課題が届いた。
テキストは、なんとなくクリスタル(田中康夫)。
≪議論のポイント(議題)≫が課題で、
≪私の回答≫が私の返答である。

≪議論のポイント(議題)≫
■「そして、もうひとつ、決定的な不安材料があった。それは、その女の子が女子大に通っていることだった」(p188)
 という箇所に「註」を付けてください。

「私」(由利)は淳一がファンの子たちと浮気をしても気にもとめない。
「そういう子たちに、淳一の気持ちが移っていくなんて、考えられないことだった」(P186)と語る。
だがこの場面での相手の子は随分様子が違う。
「都会的な子らしかった」「ある程度のブランド物を身につけてる」「顔立ちも、大人っぽいらしい」。
そして「その女の子が女子大に通っている」という。その女の子の出現を前にして「私」が、
「あなた、その子と会ってると、きっと私から離れていってしまうわ」(p188)と感じたのはなぜか。


■「いつも、二人のまわりには、クリスタルなアトモスフィアが漂っていた」(p206)
 という箇所に「註」を付けてください。

「淳一というコントローラーの下に私は所属することになってしまった」(p206)
でも「淳一によってしか与えられない歓びを知った今でも、彼のコントロールの下に"従属”ではなく、
“所属”していられるのも、ただ唯一、私がモデルをやっていたからもしれなかった」(p同)と「私」は述懐する。
この「私」が持つ「それ相応の経済的にみた生活力」(p同)のせいで、
二人は「同棲」でなく「共棲」という雰囲気でいられると「私」は考えているが、
果たしてその結果としての「クリスタルなアトモスフィア」とは「私」を幸福にしているのなのだろうか。


≪私の回答≫
■「そして、もうひとつ(註1)、決定的な不安材料(註2)があった。それは、その女の子が女子大に通っていることだった」

註1:文脈を読む国、日本におけるコミュニケーションは、裏がほんとで、表はうそ(建前)である。そして、もうひとつ、つまり、最初のは当然フェイクで、おまけのもうひとつが本命である。

註2:不安とは通常漠然とした物である、それにもかかわらず決定的とは?つまり不安材料といってはいるものの、致命的な自体に陥っていることを発見してしまっているのだ。致命的なのに、それをひっくり返せると心の奥では思っているじつはプライドの高い知的な女性なので、決定的な相手の行動を不安レベルにまで戻しているのだ。

だからこそ、由利は、淳一との通常のお約束の関係では、行わない行動にでて、この関係を新たなフェーズへと向かわせている。
「あなた、その子と会ってると、きっと私から離れていってしまうわ」と感じたので、そういっているわけでない。
新たな本気の狩りの対象を見つけた淳一に対し、淳一に固執する私を演じることにより、私を別の狩りの対象にしているのだ。
そして、それを自分自身にも気づかせずに演じてしまえるのが女のおそそしいところである。

■「いつも、二人のまわりには、クリスタル(註)なアトモスフィアが漂っていた」
 
註:この作品において、ブランドは、それぞれのモチーフにしかすぎない、より小物を具体化するための名札でしかすぎない。それらの小物を手玉にとるクリスタルな生き方を描いている。胸の大きさも女の香りすらもブランドである。淳一を死にそうなくらいにしたファンのなかに、自分と同質(註2)のクリスタルを感じ取った由利は、そこに極めて不安な材料を見出したが、女子大という異質のクリスタルも同居している点に決定的な不安材料を見出している。
クリスタルを解説することほど、野暮なこともないが、あえて書くなら上質な好みでありライフスタイルということになる。それが、軽薄かつ薄っぺらいことも同時に知っているが、それが人間のほとんどを形成することも知っているはかなさが上質をクリスタルにしているのである。

註2:スエードのスカート、ロベルタのブラウスといったある程度のブランドを着こなしているところは明確な同質性だが、胸が大きいというのも、ちょうどいい大きさで籠絡しているのと同じ性質であり、同質性を有している。

果たしてその結果としての「クリスタルなアトモスフィア」とは「私」を幸福にしているのなのだろうか。

私は、クリスタルな私しかいないことをしっており、クリスタルな私は、環境の変化に対し、適応し続けるだろうことも予期している。
私を知っている点で幸せであり、自分の知らない自分を持てていない点で不幸である。

10年、どうすごしていましたか?
人生はハードでしたか?
なんとか生きていましたか?
この10年間は、あなたにとって、どんな10年でしたか?

僕はなんとか生きてきました。
そして、10年前の思いを実現しようと、封印を解除しました。

(以下略)

鴻上尚史

というわけで、金、日と2度に渡り、いってきました。
金曜は、初日のせいか、異様に観客の反応が濃く、まさに第三の舞台という感じでした。鴻上さんは、金曜は公演後、日曜は公演前にお見送り、お出迎えをしておりました。普通に当たり前のように立ってます。

内容は、久々の公演かつ解散公演ということもあり、ファンサービスの今までの活動に対するオマージュといったものでしょうか。
ネット上では、悪評も見受けられます。
しかしながら、そもそも、第三舞台は、その時々の話題を風刺、笑い、ネタとして引用し、エンターテイメントとして、なんの脈絡もなく登場させることもやってきたのですから、ある意味、過去の台詞、役者を引用するのは当然のことであり、第三舞台らしいとも言えます。
遊んだ上で、きちんと物語を作るのがお約束なので、個々の遊びが理解できなくても、全体の物語自体はきちんと機能しますしね。
遊びにしても高尚な遊びなので、きちんと個々の物語にしているので、経緯がわからなくても楽しめたかと思います。
というより、第三舞台最後にちょっとかぶっただけなので、私もメインの俳優しかわかりません。

テーマ的には、それほどエッジなのもではなく、ベタな感じの使い古されたもの、ここが悪評のもとなんだろうけど、まあ、最終公演でエッジを狙うわけにもいかんしなあ。
ただ、よくある独立と出発をただ書いただけではなく、独立後の未来を大衆の反応、為政者・当事者の立場から盛り込んでいるのは流石だなと思います。
自由と独立といった既に合意された世界を描くのは、それほど難しいことではなく、僕がみたいのはそのあとなので、その観点からは、テーマ的にも満足できました。

思わず、過去の作品のDVDを大人買いしてしまいそうになっていますが、でもいま10年前にみたファントムペインの物語を思い出すことができないのだから、きっと買って見たとしても、それは一過性の麻薬のようなもので、またすぐ日常に埋れ、薄まり、忘れ去って行くんだろうなあと思い、なんとかとどまっています。

せいぜい第三舞台トランプに書かれた台詞を再解釈し、新しい物語を作るのに転用し、楽しむこととしたいと思います。

この宇宙の何処かで

 

うさぎドロップスを読了した。
あの著名ロリコン?漫画です。
りんという名の女の子を引き取り育てることにしたダイキチの話です。
最終的にりんは大人になり、やっぱりそこにしか落ち着かないよなというところに落ち着くわけです。
その男(ダイキチ)側の気持ちは、わからんでもないです。
というより、激しく共感です。

はい、涙なくしてこのマンガ読めません。
ダイキチがいうように、実はダイキチに選択枝はないわけです。
ダイキチは、べつにりんのことをある意味、愛しているのではないのです。ダイキチは守りたいと感じさせるものを見つけ、それを守れることに喜びを感じ、誇りを感じ、そして守りきることをやりきったわがままな幸せな男なのです。

守られる側の気持ちに、応えることも、それがどのような形であれ、守るという行為のなかに包含されているんです。
この星では、このような自分の気持ちを貫いただけの行為も、相手から受け入れられれば、愛という言葉で呼ばれるようです。
ただ、たしかにここまでくると、自分のためなのか、相手のためのなのか、もはやどうでもいいんですけどね。
ただ純粋にそこに抑えきれない欲望なのか思いなのか、わからないなにかがあるだけのことなのかもしれません。


そう考えると、べつに、相手は、異性じゃなくても同じことは成り立つわけです。
ペットでも仕事でもなんでも。
ふと自分の仕事ぶりを考えると、その観点からは、歴代の上司にいろいろ可愛がられたが、逆に美味しい酒もたくさん飲ませてやった気もします。それは、成功した仕事も失敗した仕事も含めて。

いま、自分の部下の仕事ぶりをみて、しょうがねーなと思いつつ、いろいろ指導して、聞く耳を持ってくれることもあれば、理解されないこともあり、効果的なことも、効果的でないこともあるけど、いずれにせよ、反応があることが嬉しいのと同じ感覚だと思います。
そうすると、本気で取り組めることが目の前にあることが幸せなのかもしれません。


ダイキチにとって、本気で取り組める相手がりんであったことから始まる物語が、りんにとって、本気で取り組める相手は誰なのかという物語になった。

これは、たぶん、タイミングでしかないんでしょうね。コウキである可能性だってあったわけだし。コウキにとって、本気で取り組める相手はりんだったのだが、コウキは、本気で取り組める相手はりんだということを伝えることに失敗したのか。

始めて相思相愛になったひとと結ばれなくても、相思相愛になる組み合わせなど、無限にあるわけですからね。
そういった意味では、僕は、あの集団結婚式という謎の宗教システムもあながち、意味がなくもないと思うわけです。
ようは、教祖様の選んだ相手を、本気で取り組める相手として受け入れ、つらぬけってことでしょ。
筋は通っているような、、、
だから、世界には、家同士のお見合いも一夫多妻制も一妻多夫制もまだあるのか。(あれもうないんだっけ?)

まあ、あとは、人間が理屈ではなく、欲望にどれだけ支配される生物なのかということなのでしょうね。
嫉妬とか支配とか。

でも結局、本気で取りくむってことは、その一瞬に持てるすべてをかけるってことでしょ。
その一瞬に生きることができるなら、嫉妬とか支配を超えている気はするけど。
ああ、取り組めたり、取り組めなかったり、揺らぐのか。
ああ、なんでこんなに不安定な精神に制御される生物なんでしょうねえ。もっと欲望に純粋なら、それはそれで秩序があるのに。

「踊るんだよ」羊男は言った。「音楽の鳴っている間はとにかく踊り続けるんだ。おいらの言ってることはわかるかい?
踊るんだ。踊り続けるんだ。なぜ踊るかなんて考えちゃいけない。意味なんてことは考えちゃいけない。意味なんてもともとないんだ。そんなこと考えだしたら足が停まる。一度足が停まったら、もうおいらには何ともしてあげられなくなってしまう。あんたの繋がりはもう何もなくなってしまう。永遠になくなってしまうんだよ。そうするとあんたはこっちの世界の中でしか生きていけなくなってしまう。どんどんこっちの世界に引き込まれてしまうんだ。だから足を停めちゃいけない。どれだけ馬鹿馬鹿しく思えても、そんなこと気にしちゃいけない。きちんとステップを踏んで踊り続けるんだよ。そして固まってしまったものを少しずつでもいいからほぐしていくんだよ。まだ手遅れになっていないものもあるはずだ。使えるものは全部使うんだよ。ベストを尽くすんだよ。怖がることは何もない。あんたはたしかに疲れている。疲れて、脅えている。誰にでもそういう時がある。何もかもが間違っているように感じられるんだ。だから足が停まってしまう」()「でも踊るしかないんだよ」と羊男は続けた。「それもとびっきりうまく踊るんだ。みんなが感心するくらいに。そうすればおいらもあんたのことを、手伝ってあげられるかもしれない。だから踊るんだよ。音楽の続く限り」
村上春樹「ダンス・ダンス・ダンス」(1988)

 

もひとつスピーチねたです。
年末に情報を伝えるための手がかりというプロジェクトもこなしたんです。
聴衆を分析して、聴衆のレベルにあわせて、情報を提供するというもの。
といっても、もはや情報探索時代ではなく、すでに情報選別時代だと思うのです。
単に情報が欲しければ、ググればいいのであって、必要なのは、その情報に基づいた新たな価値観や考え方だと思うんです。
だから、少々複雑なネタにしました。
マイ都市伝説ということで、世界はパスで見えないあふれているというタイトルで。
資料配布も課題だったので、こんな感じの資料にしました。
http://db.tt/BzRcZz5J

でも、これそのまま日本人相手に話しても、たぶん消化不良なんですよね。平均的な日本人は、提案された新しい部分ではなく、理解できなかった部分に注目し、そこが足らないと考えるから。
新しい価値観は、きちんと考える気になって聞かないと理解できないし、本好きの会ならまだしも、普通の日本人相手にはむかないので、資料はこれにして、話す内容は、最後の部分だけの解説にしました。
その代わり面白く。
内容は、世界はパスであふれているということで、いきづまっても誰かが必ず助けてくれるという矮小化した内容にしました。
このお約束、刷り込みテーゼなら誰でも受け入れられるでしょ。
資料配布事前に配布しといて、これ話すと30分かかるからといって、配布資料配布、構成だけいって、丸めて捨てました。
わざとです。
一応、本当はそんなに簡単じゃないよと匂わせておいたので、真面目に資料読めばわかると思っているのですが、みんな、餌の純粋まっすぐスピーチのほうに気を取られたみたいです。
ちょっと面白くなって、自分がいかに、仕事で汚れ役を引き受けているかとかその他もろもろつまり助けが必要な場面の話をしすぎて、それが面白かったみたい。
バカうけで大笑いだったのはいいんですが、肝心の罠に引っかかってくれないとなあ。
まあ、年末にスピーチして、次の顔合わせは、今度だから、まだかかったかどうかもわからないけど。

 

 現状報告のスピーチというのもやります。(予定)
現場報告と言いつつも、ある課題について十分な情報を提供することで、聞き手が何らかの決定もしくは行動を起こすという内容になっているので、旅行代理店になって、旅先を紹介する設定にしました。
・小さな旅行代理店なので値段では勝負しない
・よって他の旅行会社が紹介する場所とは違うところを紹介する
というものです。

場所を選んでみたら、こんな感じになりました。

第1部
・美しき秘島
  カウアイ島:文明からの解放
  スカイ島:霧の彼方へ

・心くつろぐ小さな街
  マルベージャ:ロシアンマフィアの休暇
  フィレンツェ:フィレンツェの休日

・光と形
  サハラ:夜明けの色
  黄山:もののかたち

・番外編
  ハロン湾:龍の住まわし処
  コルカタ:存在の意義

第2部
  ヨセミテ:自然との共存
  カーメル:ホワイトビーチと美しき町 
  パリ:奇人たちの都
  ニース:マリンブルーのきらめき

これもMAX7分半なので、
第1部だけで構成するつもりでしたが、それでも内容がありすぎるので、きって
内容を説明するのは、カウアイ島とマルベージャに絞ることにしました。
おまけで、イチオシのポイントだけ、サハラ、黄山、コルカタの3箇所紹介という構成です。

OHP
は、これを使用予定。
http://db.tt/XnDD1S79

やっぱ、7分半で勝負するのはきびよなあ。
ちなみに、
実演スピーチというのがこの前にあるので、そこでは、DJ OZMAがライブの楽しみ方を実演で紹介するというネタを
楽しみの題材という他人のネタを使うプロジェクトでは、先日のすべらない話の小藪さんの交通ルールのネタをやろうと思っています。
時間的にもちょうどいいし、だんじり野郎のスノーボードはちょい長すぎるから。

 

 

 

昨年のことですが、所属しているスピーチクラブで、本の紹介のスピーチをやったんです。
楽しませるスピーチというプロジェクトで、本を用意して、それぞれコメントを考えて。

7
分半MAXの構成なので、まあ45冊かなと思ったのですが、現物持ち込みなので、一応、下の9冊を選んで。
その日の出番までの流れが、ワープとか宇宙人とかで、日英両言語飛び交っていたので、
まず
図書館戦争で、行間を読む教科書と入って
地獄のサラミちゃんで、行間をめちゃめちゃ読まないといけない漫画

次に自由と創造を重んじるアメリカの価値観ということで水源に飛び、
日本人がえがく自由の像ということで
青年のための読書クラブ
でオチにしました。

最初にワープの流れで、自分が宇宙人設定で、地球人に読書を薦める設定にしたのはいいが、途中から設定を忘れてしまい、宇宙人になりきれなかったのとその設定を最初に入れるとやっぱり時間的にきつく、早口になりすぎたのが改善点かなあ。



図書館戦争
・ベタ甘全開
・行間まで書いちゃっている
・美しいハイコンテクストの日本の文学ではない
・これは教科書
・どうやってがんばる女子と白馬の王子さまの考えや会話が噛み合うかという、つまり恋愛教科書
・日本人の行間を読む力が落ちたとも考えられるが、こういった行間の読み方の教科書のような本はいままでなかった
・いままでは、技は盗めだった
・そういった意味では新鮮

地獄のサラミちゃん
・まさに日本人の行間をよめを絵にした漫画
・行間を読むのが好きな人にはたまらないストーリー

デューク
・感情の行間というか狭間を描いている
・丁寧に感情の流れを読むと登場人物の感情が自分のことのように感じる
・この共感覚を得られると、過去の自分の感覚がぶり返してきて開放感がある

水源
・アメリカ人の創造に対する神話
・ただすごいパワーがある
・個人がしっかり自分で立つと周りからも祝福してももらえるという実例

ぼくは勉強ができない
・思想の自由(男版)
・そして自由とあり方としての美しさ、デリカシーを両立させた時、世界はまったく異なって見えるということを教えてくれる

青年のための読書クラブ
・思想の自由(女版)
・世界を羽ばたく軽やかさがある。

二分間の冒険
・児童書
・物語としての面白さと意味としての面白さを両立している
・この世界でいちばんたしかなものは何?

約束の方舟
・守りたいものを守れるようになるため、大人になるってこと

野ブタ。をプロデュース
・同じアホなら踊らなソンソン