「独身者の男性諸君に嫉妬されないかな?」
「先生も独身でしょう、人ごとじゃないですよ」
ああ、俺も独身だ、人ごとじゃないな、と若菜は顔を上げ、鈴木にアンパンマンの笑顔を向けた。この先生、ひとたびメスを握らせば、メス捌きは、繊細な動きをみせる。ゴリラのように太い指から、神業が生まれるのだから。不思議な人である。それでいて、医者にありがちな、うらなり瓢箪のような、インテリ顔でない。一見ボーとして、お人好顔である。
あす、手術する山口患者は、四十五歳のまさに働盛りだ。やはり、大手の会社役員だ。三十八歳にて授かった一人息子がいる。山口患者の病名は、クモ膜下出血である。それは脳にできた動脈瘤である。病巣は、脳の血管の一部がもろくなって弾力を失い、出臍のように丸くふくれて、いまにも破裂しそうな危険な状態である。
二日前に行われた、カンフアレでは、「クリッピング手術」と「脳血管内治療」が提案された。脳血管内治療は、最新医療の技術である。そのためここの医者で、この技術が使えるのは若菜医師だけである。
クリッピング手術とは、頭蓋骨の一部をドリルで穿孔し、そこから顕微鏡をみながら脳に接近し、動脈瘤の根元を外側から金属製のクリップで挟んで破裂しないようにとめる。もう一方の脳血管治療は、直径1.2ミリのカテーテルとプラチナ製のコイルを足の付け根から脳の血管まで、段階的に送り込み、脳内部の膨らみを中側から塞いでしまう治療で、脳動脈瘤破裂を塞ぐため、頭蓋を切らずにすむ。治療効果は、どちらも優劣つけられない。頭蓋骨を穿孔しない、ということが、患者には受ける。外科部長も勧めている。どうやら、名医のパホーマンスとして、また稼ぐ手だてだ。そのため、ほかの若い医師は、若菜に習え、追いつけの指示を石田院長が、だしているらしい。外部からの応援医師にも、金を惜しんでいない。 マー坊の自宅は、郊外の病院より私鉄二つ目の駅を下りた、市街地に所在する。この町は、中部の経済中心都市のベットタウンの役目をしている。サラリーマン帰りの帰宅客で、駅は活気づいていた。都心まで、三十分でいけるところだから、田圃や野山を開発し、十年前に、マンモス団地ができた。
「何か、買っていこうか、手ぶらでは、大食漢としては、肩身が狭いから」
「いいよ、家にいけば、売るほどあるから、心配ご無用よ」と、言った意味が、若菜は納得した。鈴木の家は、八百屋だった。緑、黄、赤とインテリのように、配色し、ちょっとしたお菓子屋のようにフアッシナブルな感じのいい店だ。
「ここで、ちょいと待っていて、散らかっていないか見てくるから」
マー坊が店の奥に入っていって、若菜は、店の入り口に佇んでいた。客は、数人が店に入り込んでいた。
「おじさん、大根眺めて、奥さんでも思いだしているの?」と、エプロンに着替えたマー坊が立っていた。
若菜は、マー坊におじさんと呼ばれて、返す言葉がなかった。でも、独身を承知のはずだのに。からかっているのか。日頃、どちらかといえば剽軽な彼女だから、やりかねないか。
「その米なす、田楽にすると美味しいよ」
あれ、マー坊じゃないのか。そういえば、マー坊は、茶髪じゃない。
「これ、康子、その人、私のお客さんよ」
エンプロンをしながら、マー坊が奥の座敷から出てきた。すると、この同じ顔した彼女は、双子の姉妹。
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