ちょっと前から、駅前ではカジノ反対!中学校給食!と主張する人たちが出始めました。横浜市長選挙、候補者は3人。うち2人はカジノ反対、現職の林市長は当初積極的だったけど今は白紙、とのこと。

貴重な1票を投じるにあたり、ちょっと調べてみました。

そもそもの大前提として、横浜市の財政は余裕ない。

財政、というと堅くなるが要は家計。国の財政を含め日本全国の懐事情って横浜に限らず良くはないわけで。そうなると色々言っても実現にあたって「財源は?」となる。

中学校給食って確かに家庭に密着したテーマで、横浜の弱いところ。私も知った時「え!?ないの!?」って思ったよ。家で弁当作って持ってこい、と。流石にそれは共働き家庭の負担になるし、他では普通なだけに強く実現が望まれる部分。他ではできてるのに横浜でできていないのには理由がある。はまレポさんが調べてくれている。他が給食やり出した昭和40年代、横浜では人口が増えすぎて給食設備より学校建設が足りなかったんだって。で、今何でできないかってそりゃお金がないからでしょう。後から予算追加する大変さは民間企業に勤めてればわかる。

よって、中学校給食って多分実現できないと私は思う。これを謳う人は「選挙の為」に言ってるな、と思ってしまう。財源も示さずに耳触りのいいことを言う政党が昔あったよね。今名前変わったり代表が辞めたりしてるけど。

カジノというかIRは逆で、歳入を増やす話になる。どっかの試算で年間61億の税収になるとか。収入を増やす案には反対で、支出を増やすと言ってることになる。有権者はその分市民税がべらぼうに上がってもいいのだろうか?給食の為に?いや、んなわけないだろ。

…と、他にも色々調べたけど実質1択です。
ちゃんと投票しにいきます。
飛び込み営業、って結構まだやってますよね。

前の会社でも今の会社でもやってました。
でも、普通はやりたくないって人多いでしょう。断られるし。

ネット上に「新人が毎年飛び込み営業してくるのがウザい」と酷評してるコメントを見つけては、心が揺れます。
飛び込み営業って成功率低いし非効率的だし、全く合理的でないな、と確かに思う。何より自分がされたらイヤだしね。
でもそこから始まるご縁がゼロではないのも事実で、攻めるには飛び込むしかないのも実態。やらなきゃ売上ゼロだし。

非効率的だけど、上手い下手はある。でもうまくいかないのは下手だからではないんだよね。基本成功しないやり方なんだから。

電話の是非も一緒。
「電話は時間を奪う行為だ!!!」とかってキレられると凹む…
でも実際かけないと繋がらないし。必要なインフラであるのは確か。

でもやりたくはないね。やるなら、何とか気分を害さないように上手くやりたい。
ワンピースに出てくる四皇ビッグマムは、国民から半年に一度1ヶ月分の寿命を徴収する。1年で2ヶ月の寿命が奪われる代わりに、安全で平和な暮らしを保証するという。

Leave(去る) or LIFE(寿命)?

これはその時の問いかけ。国民からたとえ1ヶ月でも命を奪うなど悪の所業だ。さすが海賊ビッグマムは悪党、悪い奴。ルフィぶっ飛ばせ!
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私は「時給」で働いている。
時間をお金に換金しているのだ。
時間は誰もが平等に持つ、極めて商品価値の高い資産だ。何もなくても時間があるなら、それを売れば換金できる。

1日7時間、休憩と前後の通勤時間を合わせれば10時間以上を「仕事」という名の魔物に捧げる見返りにお金をもらっている。

1日10/24時間、週5/7日、月20/30日、年245/365日。

自分の持つ半分以上の時間を仕事に捧げているという事実。

これをどう捉えるか。
矛盾って、とても気持ち悪い。

でも矛盾を持たずに完璧に理路整然と考える人なんてきっといない。

人の心には矛盾することがあってむしろ普通。そう思ってから、他人が抱える矛盾が気にならなくなった。

でも、人はやっぱり矛盾が嫌い。
誰かを動かす時は矛盾のない、突っ込みどころのないキレイな理論を展開しなければいけない。矛盾のある提案書や稟議書は通らない。

でも、人の話を聞くときは、矛盾を追求する必要はない。矛盾を抱えてたっていいのだ。本人は気持ち悪いかもしれないが、まるっと受け止められればいい。逆に自分には絶対に矛盾など無いのだあぁぁ!と思ってる人はキツイかもしれない。

自分の中にある矛盾しまくりな気持ちが少しだけ許せるようになったし、ちょっと気が楽になりました。

そんなもんだよ。人の気持ちは。理解するのではなく、受け止めることだ。
NLP=神経言語プログラミングというやつ。Neuro-Linguistic Programming、過去の天才セラピストの成功ノウハウ?を体系化したものだそうです。
脳には五感、感覚を言語化するプログラムがあって、私たちはこのプログラムというフィルターを通して全てのことを感じている。プログラムは価値観、価値基準でもある。

他人に働きかける類いのものではないところに少し警戒が解けました。

まず無意識である、ということで罪悪感から解放されます。私のせいじゃないのね、と。何らかの体験によって無意識にそうプログラムされているだけ。そう思えば、自分が変えたいのに変われない、できない、ダメだと思って自分を責めなくて済む。
見方を変える、そのためになぜその見方=プログラムができたのか?を自問する。これだけでかなりメンタル的には前向きになれている気がする。

そして本の中では短期間に自分を矯正する手法として「モデリング」が出てくる。手本となる人物を徹底的に真似すること。これには身に覚えがあって、学生時代に部活で憧れの先輩のプレーをずっと目で追っていたらプレースタイルが似てきた。同じ初心者でラクロスを始めても、3部リーグの大学と一部リーグでトップを狙う強豪校で1年後に差が出るのはこの為だと思った。
残念ながら、社会人になってからは反面教師だらけでこの上達の法則を使えなかった。そして、社会人になって最初の3年間で繰り返し繰り返しネガティブな思いをしたために、私の中に拭い去れないトラウマが残っている。これも環境が無意識に作り出したプログラムだ。

入門書読んだだけの素人に偉そうなことは何も言えないけど、一読の価値はあったと思う。