多くの人は、生まれてから成人する頃までの年月を成長と呼び、ある年齢を境に、年を重ねることは自分が少しずつ退化していくことだと捉えている。
もちろん肉体的には、様々な変化が現れてくるだろう。これまで感じたとのないような疲れや、女性の方であれば色々な肌トラブルに悩まされるのかもしれない。
でも、時間を経るたびに人は様々なことを学び、知恵や知識・経験は年を重ねるたびに蓄積されていっているはずだ。
これまで見えなかったものが見えるようになり、これまで気付かなかったことに気付けるようになる。
そう、僕たちは年を重ねるたびに、行動による経験が蓄積されることでどんどん進化している。退化している事柄なんて、何一つないんだ。
人はどうしても、自分の五感を使って感じる世界だけで物事を判断してしまいがちだ。特に視覚によって感じる世界の印象は強烈で、物事の大半の情報を視覚から得て、その視覚情報を頼りに大半の判断をしてしまう。
今、目に見えているものだけが全てだと感じてしまうんだ。
目に見えないものを感じて意識できない人は、例えば少し接してみればよく分かる。相手の行動や発言そのものだけに反応して、その裏にある相手の真意を読み取ることができない。
あの時ああ言っていた。あのような行動をとった。と、自分の色眼鏡で見えた世界だけで物事を判断して、目には見えない大切な部分を見ようとしない・できないんだ。
ちょっと今から10年前の自分のことを思い起こしてみると、あの時はまだまだだったなと思えることがたくさんあるはずだ。
目に見える環境はそれほど大きく変わっていなかったとしても、昔の自分のことを考えると誰でもちょっと恥ずかしくなるはずだ。
それが、その年月に積み重ねてきた経験であり成長なんだ。
もちろん、肉体的な衰えはどうしても感じてしまうだろう。でも、肉体的なものは自分の意識次第でどうにでもなるものだし、そう意識して日々を送っている人には、若い頃にはない年相応の魅力が生まれてくる。
自分が今若いのか老いているのか、決めるのは自分だ。年を重ねるたびに進化しているのか、それとも退化していっているのか、それをどう捉えるのかも自分なんだ。