連日ニュースでも大きく取り上げられています。
中国は過去領土に対しては引かない姿勢を示し続けていますのでしっかりと見ておく必要があります。
日本に謝罪と賠償請求も要求しているという緊迫した状況です。
中国が尖閣諸島を自国領土だと強く発言し始めた経緯は以下の通りです。
1968年10月12日から11月29日にかけて、日本、中華民国、韓国の海洋専門家が中心となり、
国連のアジア極東経済委員会(ECAFE)の協力の基に、東シナ海一帯にわたって海底の学術調査を行いました。
翌年5月東シナ海の大陸棚には【石油資源】が埋蔵されている可能性があることが指摘されました。
これが契機になって、尖閣諸島がにわかに関係諸国の注目を集めることになります。
現にこの2年後に台湾と中国が相次いで同諸島の領有権を公式に主張しています。
石油があるとの発表が無ければこれほど問題がこじれたとは考えにくいでしょう。
ただここ最近では共同して開発共有していこうという話もありましたが今回のことで
完全に議論は平行線となってしまいました。
中国側の論拠は尖閣諸島は地質的には琉球列島には属さず中国の大陸棚上に在るという点です。
これだけ聞くとなるほどと思う点もありますが別の中国領土問題を見ると「??」と思うところが多々あります。
中国は日本以外にも、フィリピンやベトナム、マレーシアなどと南沙諸島を巡って領有権争いをしています。
南沙諸島は地質的にはこれら【東南アジア諸国の大陸棚上にあり】中国とは連なっていません。
中国政府はこと南沙諸島に関しては大陸棚を持ち出していません。。
日本との領土問題には地質的な証拠として大陸棚を持ち出し、南沙初等の領土問題では大陸棚を領有権の証拠として持ち出していはいません。
これからも領土問題に対しては強硬姿勢を貫いていることが分かります。
日本側の論拠としましては本日TV番組でも放送されていましたが沖縄県石垣市役所んい保管されている中国からの感謝状が挙げられます。
史料は1920年5月20日、中華民国駐長崎領事が中国漁民救助に対する「感謝状」として、
当時の沖縄県石垣村の村民に贈ったものです。

内容は
「大正八年の冬、中国の福建省恵安県(現、泉州付近)の漁民郭合順氏ら31人が遭難し、日本の尖閣諸島にある魚釣島に漂着しました。石垣村の玉代勢孫伴氏(後の助役)が熱心に看病し皆元気に生還することができた。こうした看護は感謝に堪えず感謝状を贈る」
というものです。
領事氏名の馮冕(ひょう・めん)の下に「華駐長崎領事」の公印と年月日の上に「中華民国駐長崎領事印」とあります。
注目されるのは、この漁船が遭難した当時、中華民国政府の外交当局が、感謝状の中で尖閣諸島のことを「日本帝国八重山郡尖閣列島」と明記している点です。
この頃までに中国が領有権の主張をした事実がないことはもちろん、
むしろ積極的に尖閣諸島を日本領と認めていた何よりの証拠です。
やはり石油が見つかるまでは尖閣諸島に対する領土意識は無かったようです。
また領土問題と言えば石原都知事の主張に抗議しているのが印象的な沖の鳥島があります。
国際的に島と認められている沖ノ鳥島を中国は
「島ではなく岩である。したがって日本は排他的経済水域を設定できない」
と最近主張し始めたのは記憶に新しいです。
しかし国際定義上、満潮時にも陸地表面が海面から出ていればそれは島です。
それを言うとフィリピンが自国の排他的経済水域内とするスプラトリー諸島(南沙諸島)のミスチーフ環礁を1995年1月に中国が海軍を投入して占拠しました。
しかしミスチー環礁は満潮時には陸地表面は完全に海中に沈みます。
そこで中国は同年コンクリートで固めて軍事的な施設を造りました。
満潮時でも陸地が出ている沖ノ鳥島にクレームをつけ、満潮時には完全に沈むミスチーフ環礁の上に施設を造り支配。
これはどういうことでしょうか。
中国の領土拡張主義の問題は日本やフィリピン、ベトナムだけにとどまりません。
ネパール首相コイララは記者会見で、「今まで中国側からエベレスト山頂に登った人は一人も居なかった。その地を自国領土として要求するとはよくも言えるのもだ」と言い捨てました。
その後オリンピック聖火リレーで中国側がエベレスト登頂したのは記憶に新しいところです。
韓国メディアも
「強い経済力で周辺国を屈服させる中国の力の外交が定着しつつある」(朝鮮日報)
という論評しています。
参考(田中邦貴 尖閣諸島問題 、日経新聞)