尼崎城ヒストリー
【備忘録】
大坂夏の陣後、江戸幕府は大坂を直轄地として西国支配の拠点とするため
元和3(1617)年、譜代大名の戸田氏鉄(うじかね)に尼崎城を築城させ、大坂の西の守りとしました。
3重の堀と4層の天守からなる城で、その規模は、現在の北城内・南城内の約300メートル四方
阪神甲子園球場の約3.5倍にも相当する広大なものでした。
そして驚くことに・・・・・・・
当時、尼崎城に畳を納品した控えが我が家にありました
親に聞いたところ、昔は畳屋を営んでいたそうです
1617年に築城なので400年前かなぁ?
400年前の畳の納品書があるわけないですよね。
調べてみると・・・・・・
尼崎城は、戸田氏・青山氏・(櫻井)松平氏と、代々譜代大名が藩主を務める尼崎藩政の中心として
また、城下町尼崎のシンボルとして、約250年もの間、威容を誇りました。
その長い年月の間には、修復工事を常に行い、城を保つ努力が繰り返し行われていたことがわかっています。
250年もの間になんども修復工事を行ってたようなので
約150年前まで現存してあれば納得しました。
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