おはよう!(^_^)v
金閣寺と呼ばれてますが正式には鹿苑寺(ろくおんじ)といいます
足利義満の死後、遺言により北山山荘は舎利殿(金閣)
を残して解体され禅寺となりました
禅寺の名前は義満の法名鹿苑院殿から二次をとって鹿苑寺と名付けられました。
舎利殿(金閣)

二層と三層は、漆(ウルシ)の上から純金の箔が張ってあり、屋根は椹(サワラ)の薄い板を何枚も重ねた柿葺(コケラブキ)で、上には中国でめでたい鳥といわれる鳳凰(ホウオウ)が輝いています。一層は寝殿造(シンデンヅクリ)で法水院(ホッスイイン)、二層は武家造(ブケヅクリ)で潮音洞(チョウオンドウ)とよばれています。三層は、中国風の禅宗仏殿造で究竟頂(クッキョウチョウ)とよばれ、三つの様式を見事に調和させた室町時代の代表的な建物と言えます。
昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行いました。
昭和62年(1987)秋、漆の塗替えや金箔の張替え、更に天井画と義満像の復元を行いました。
鏡湖池(キョウコチ)は約6,600㎡(約2千坪)、




白蛇塚という五輪の石塔


陸船の松







鹿苑寺(金閣寺)
京都府京都市北区金閣寺町1