今日のビル・トッテン氏訳、「When Empires Die(帝国が滅びる時)」。先月24日、米国ZeroHedge掲載記事。執筆は、英国人で幼少期から多国籍に暮らし、現在は主にカリブ海諸国に居住し、30年以上にわたりオーストリア学派経済学、個人の自由、そして政府の権限制限について定期的に執筆活動を行っているジェフ・トーマスJeff Thomas。
何年も前、ダグ・ケイシー(投資家・作家)はこう言った。「帝国が滅びる時は、驚くほどの速さで滅びる」。当時、この発言は驚きをもって受け止められたが、彼の観察は極めて正確だった。アーネスト・ヘミングウェイも同様の言葉を残している。小説『日はまた昇る』(1926年)の登場人物が破産の経緯を問われた際の答えだ。「徐々に、そして突然に。」これもまた謎めいた表現だが、的を射ている。いかなる帝国も絶頂期には全能に見える。だが衰退しつつある帝国の脆さは、その兆候が表に出にくいゆえに理解しがたい。
偉大な国は、伝統的価値観(勤勉、自立、名誉、その他諸々)の上に築かれる。だが帝国は明らかに異なる。一見議論の余地がないように思えるが、帝国とは伝統的価値観によって並外れて繁栄した偉大な国家である。その価値観において「偉大」な国は大小問わず数多く存在するが、帝国となるのはごく一部だ。
そう、確かに繁栄は伝統的価値観によってもたらされるが、偉大な国が帝国になるのは、その繁栄が他国へ進出する(他国を侵略し、その資産を略奪し、その民を征服する)のに十分な規模に達した時だけである。
後知恵で振り返れば、ローマ帝国が成立したのもこのためだと理解できる。スペイン帝国がアメリカ大陸侵攻とコロンブス以前の黄金略奪によって築かれたことも認めざるを得ない。そして小さな島国イギリスが、武力で奪った植民地で世界を覆うことで帝国を成し遂げたことも理解できる。いずれの場合もパターンは同じだ――拡大し、征服し、略奪し、支配する。
英国人として、私が子供の頃の理解では、過去の帝国は悪辣な手段で築かれたものだったが、大英帝国だけは何か違うと信じ込まされていた。先祖たちが七つの海を渡り、遠く離れた民を解放したのだと。もちろん、それはでたらめだった。大英帝国はとっくに終焉を迎えた。現在の帝国は米国である。
1900年頃、当時偉大だった米国は帝国建設を目指し、時の大統領セオドア・ルーズベルトは近隣(ニカラグア、グアテマラ、エルサルバドル、パナマ、プエルトリコ、キューバ)から遠隔地(ハワイ、フィリピン、日本)に至るまで、外国の土地を征服したいという欲望にかられた。
その企ては概ね成功し、占領された国々は植民地と呼ばれなかったものの、明らかに属国となることを意図されていた。そして米国政府の手法がフン族のそれより優しかったとは到底言えない。ハワイのように比較的平和的に併合された地域もあれば、フィリピンのように大規模な虐殺を必要とした地域もあった。
こうした戦術は「偉大な」国家の性質を変える。確かに支配力という点ではより大きくなるが、価値観の面では偉大さを失うのだ。大抵の場合、これは帝国崩壊の種を蒔く。帝国は拡大する一方で、その基盤となった理念や道徳が腐敗し、内部から朽ちていく。
これがまた、帝国に服従させる習慣を育む。海外の友邦や同盟国さえもだ。これらの国々は繁栄に便乗しようと乗り込むのだ。他国の忠誠心はある程度本物だが、彼らは劣等国として扱われ、やがて帝国への怨みを生む。こうして帝国の末期には同盟国はへつらう者となる。帝国への憎悪は明らかだが、彼らは不承不承ながら従順さを保つのである。
帝国は金銭的繁栄の上に築かれる。全盛期の帝国があらゆる者をその岸辺に引き寄せるのは理解できる。全世界がその恩恵を得ようと望むため、帝国は他者に命令する力を持つのだ。しかし帝政の終焉が近づくと、かつての真の同盟国すら帝国を憎むようになる。
末期になると帝国は空洞化する。高コストで肥大化した政府が重荷となる。中産階級は、パンとサーカスで大衆に寛大さを示し、政治階級への忠誠を捧げることを期待されている。伝統的価値観はほぼ消滅し、「誰もが他者から搾取しようとする」社会となる。
この時点で、帝国は単なる上層構造に過ぎず、その構造はますます不安定になる。重要なのは、帝国を可能にした繁栄が、繁栄の幻想――つまり借金――に取って代わられることだ。
同時に崩壊しつつある構造を維持するため、政治階級はますます専制的になる。最終段階では、大衆の支配を可能な限り長く維持するため、専制的な手段が頻度と規模の両方で増大する。
読者はこの最後の文を再読するとよい。なぜならこの展開こそが、帝国崩壊直前の最終段階において最も顕著な兆候だからだ。この最終期は対処が困難なだけでなく、滅びゆく帝国内に生きる者にとって極めて混乱を招く。
建造物は依然として立っている。選挙のたびに有権者は、何らかの形で救世主が現れ「全てを元通りにする」ことを期待する。しかし歴史的に見て、それは決して起こらないと認識すべきだ。一般市民が政治指導者に「目を覚まして」無意味な行為を止めるよう無駄に期待する一方で、彼らが理解していないのは、政治指導者にとって最も重要な追求は権力であるということだ。彼らは民衆の幸福など微塵も気にかけていない。
政治家階級は、代表すべき民衆の利益のために、ほんのわずかな権力でさえ手放すつもりなど微塵もない。歴史的に見て、あらゆる帝国は例外なく内部から崩壊してきた。リンゴが完全に腐ったなら、それを元に戻すことはできないのだ。
したがって、ここ数十年を注意深く観察してきたならば、現在の帝国はすでに賞味期限を過ぎていると認めざるを得ない。その政治構造は与野党双方で完全に腐敗し、経済は返済不能な債務によって破滅に向かい、国民は生産性を失い、今やますます絶望的な手段でかつての友人を遠ざけつつある。
ここで冒頭の段落に戻る。
崩壊直前の段階になると帝国は取り巻きを売り渡し、それゆえ、彼らにとって帝国はもはや何の利益ももたらさなくなる。突然、帝国は負債となる。そしてこの時点で、取り巻きという屈辱に耐え続けてきた者たちは、帝国の没落(たとえ部分的でも)を待ち望むようになる。
現時点で米国帝国は支配の幻想を維持しているが、それは試練に耐えられない。戦争での敗北、金融の崩壊、ドルの基軸通貨地位喪失、あるいは今まさに迫りつつある数々の引き金のいずれか一つでも、米国を一夜にして片膝をつかせるには十分だ。必要なのは、引き金を引くことだけだ。
その出来事が何であるかはさほど重要ではない。今まさにその境地に近づきつつあり、その出来事が避けられないと我々が理解すれば十分なのだ。
歴史的に見て、帝国が滅びる時、全ての借金は突然返済期日を迎える。
いかなる帝国の政治家も、傲慢にも同盟国が命令通りに行動すると思っている。しかし帝国に決定的な打撃が加わると、かつて忠実な同盟国であった者たちは、沈みゆく船から逃げ出すネズミのように、帝国を見捨てる準備ができている。
そうなると、帝国を支えると期待していた支えは素早く引き抜かれる。崩壊は「徐々に、そして突然に」起こるのだ。
これを理解すれば、読者が問われるのは、この構造物が崩れ落ちる時、どこに居たいかだ。惨事から無傷で生き延びる可能性を高める代替案を準備しているかどうかである。
コスモス
