江戸幕府は儒教を導入し、特に朱子学を精神的支柱とした。しかし、同じ儒教に属する、身分の平等を唱える中江藤樹の陽明学も初期に現れる。大阪では江戸後期の蘭学塾である緒方洪庵の適塾が知られるが、すでに中期に陽明学の三宅石庵の懐徳堂も存在していた。懐徳堂は大阪商人たちによって設立された。その商人の一人である富永芳春の三男が富永仲基で、彼は懐徳堂で学んだ合理主義を身につけ、儒教や仏教、神道を批判し、歴史や言語、民俗を注視して、思想や学説は新しいものほどより古いものに依拠しているとする「加上」と言う概念を展開した。鎖国の中で、外国文化や日本の文化を相対化して捉えた。彼の「加上」の概念は国学の本居宣長に評価されたようだが、宣長には相対化の視点は見られない。富永仲基は残念ながら32歳と言う若さで世を去った。そのためもあって、彼の思想や学問の方法を受け継ぐ弟子を得られていない。町人の生まれであったためか、歴史や彼の時代を相対化することによって、かえって、自由な視点から思想や民俗を捉えている。まさに現代にも通用する学問の方法と言えるだろう。江戸中期にこれほどの人物が日本にもいた。しかし、江戸時代も現代も学問の世界の大きな流れはあまり変化が見られない。現代の日本の学問の世界も江戸時代とさほど変わらない閉鎖性を持っている。米国のような世界中から有能な人たちが集まってくる環境にはなっていない。理系の米国留学経験者で多くのノーベル賞受賞者はいるが、文系ではほとんど皆無である。能力の差ではなく、環境による。孤立した島国であるほど、開放的である必要があるだろう。



一休みするキンクロハジロの群れ

キンクロハジロ