釜石の職場に隣接する薬師公園には何人かの俳人の句が石碑に刻まれている。その一人に作家で俳人の巖谷小波(いわやさざなみ)がいる。維新の2年後に東京で生まれ、尾崎紅葉らとも交流し、民話から『桃太郎』や『花咲爺』などのおとぎ話を著した。また『ふじの山』や『一寸法師』の歌の作詞も行なっている。彼は北は北海道から南はまさに沖縄まで、日本各地を訪れ、各地で俳句を詠っている。釜石へも1909年に訪れ、薬師公園にある観音寺に足を運び、そこで「そのむかし海嘯(津波のこと)の襲ひしところかや」、「涼しさや松にのみきく涛(なみ)の音」の二句を残した。1896年6月15日、当時の岩手県上閉伊郡釜石町の沖合200Kmを震源とするM8.2- 8.5の巨大地震が発生し、2011年の東北地方太平洋沖地震の際の津波に次ぐ、海抜38.2mの津波が襲った。まだ茅葺き屋根の家が多かった三陸沿岸での被害は甚大であった。彼はこの震災から13年後に釜石を訪れているが、釜石では8.2mであった津波の足跡はまだ残されていただろう。土地の人たちからも津波の被害の様子を聞いたに違いない。この時の津波は遠くハワイで9m、米国本土のカリフォルニアでも3m近くの高さに達している。江戸時代に描かれた絵を見ると、現在の薬師公園のある山の位置まで海が迫っている。おそらく、現在の海側にある市街地のあたりは製鉄所の繁栄と共に埋め立てられたのだろう。それだけに、その地域の津波被害も大きかったと思われる。また、今ではとても薬師公園では波の音は聞くことが出来ないが、当時はまだ波の音を聞け、海も見えていたのだろう。明治の時代も1872年以後、全国で地震や噴火が多発している。出雲の大地震、草津白根山の噴火、鹿児島県の諏訪之瀬島の大噴火、小磐梯山が崩壊した磐梯山の大噴火、死者20人を出した熊本大地震、死者7273人を出した濃尾大地震、山形県と福島県の県境にそった吾妻山の噴火、三陸の大地震の2年前の1894年には東京、神奈川で死者31人を出した地震と死者726人を出した山形県の庄内大地震が起き、翌年には蔵王山が噴火している。1870年生まれの巖谷小波もこれらの多くを見聞きしただろう。
小波の句碑