昨日はとてもよく晴れた日曜で、以前にも書いた秋田県大仙市にある唐松神社へ出かけた。よく晴れていて、秋田自動車道からは鳥海山もきれいに見えた。しかし、北海道で30度を超えた暑さは秋田でもやはり27度まで気温を高めていた。協和ICで降りて、秋田市へ向かう13号線に出るすぐ手前で左折して、道なりに行くと、標識があり、それに従って再び左折した。雄物川の支流である淀川を渡ると、水田が広がる向こうの小高いところに小さな城のようなものが見えて来た。ここが唐松岳でかって唐松城のあったところだ。先に唐松神社へ行くことにして、また淀川の別の橋を渡り、淀川の右岸へ行く。神社の参道には秋田の天然記念物である樹齢300年の杉並木がある。この参道に沿った舗装路を進むと駐車場がある。杉並木の先に下の階段があり、唐松神社の奥殿はその階段の上から見下ろすとこにある。本来はこの奥殿は唐松岳にあったが、禁を犯して馬で神社に乗り付けた佐竹藩主が落馬したことから、怒って、神社を現在の低い位置に移させたと言う。随分と傲慢な藩主である。宮司の物部家の庭園内には唐松山天日宮なる社殿もある。こちらはドーナツ状の池とその中心に石積みした上に建てられた社殿がある、とても変わった配置の社殿であった。たまたまその社殿の背後から池の魚に餌をやっていた宮司さんが現れたので、少しお話を伺った。この社殿は1914年に建立されたもので、石積みに使われた石は全て信者さんたちの寄付によるとのことだった。そして、本来のものはそこに繋がった南側の少し規模の小さいドーナツ状の池のあるところであったそうだ。そちらにはやはり中心に石積みがされており、「玉鉾大神」と記された石碑が立っていた。宮司さんにこのドーナツ状の池を配していることの意味を尋ねたが、宮司さんにもよく分からないとのことだった。石積みやドーナツ状の池などは縄文の匂いがする。この唐松神社の代々の宮司を務めて来た物部家には『物部文書』と称される古文書が伝わる。この古文書では日本の神話に登場する饒速日(にぎはやひ)命が鳥海山に降臨し、唐松岳に住んだ後に大和に移ったとされる。饒速日命は物部氏の祖先で、大和で蘇我氏に敗れた物部氏が秋田のかって自分たちの祖である饒速日命が住んだ唐松岳に逃れて来たとされる。饒速日命については古事記と日本書紀では登場する時代が異なっている。古事記では神武の東征時期に登場し、日本書紀では天照の時代に天照の命で、天磐船に乗って河内国に天降ったとされている。いずれにしろ饒速日命については古事記も日本書紀もよくは分からない人物であった。つまり記紀編纂時の天皇家とは関係のない系統の人物だと思われる。和田家文書でも物部氏は何度か登場しており、ドーナツ状の池などもアラハバキの神との関連もあるのかも知れない。
唐松神社境内(航空写真)

唐松神社奥殿 さすがに人が次々にやって来ていた

私庭内にある唐松山天日宮へはほとんど人が来ていない

本来の池と石碑

唐松城址の能楽殿

唐松城址案内図 唐松岳山頂に唐松神社の元宮があった