子供の頃、四国では夏には必ず海で海水浴をした。波の穏やかな瀬戸内海の浜から眺める島々がとても綺麗だった。この瀬戸内海も豊かな漁場でもあった。しかし、釜石へ来てみると、海だけではなく山もまたとても豊かで驚くばかりだ。その豊かな山には山神が祀られている。岩手では山神神社や山神碑がいたるところに見られる。好奇心に駆られて、この山神を調べてみると、実は全国に見られる。北海道から鹿児島まで分布している。岩手では五葉山神社、不動山神社、麓山神社、山神社の名で祀られ、祭神を大山津見神とし、本宮を私の出身地の愛媛県の瀬戸内海に浮かぶ大三島の大山祇神社とするものもある。大山祇神社そのものも出雲大社と同じく縄文時代に遡る神社であると思われるが、東北や関東の本宮を大山祇神社とする神社はおそらく明治新政府による廃仏毀釈で改めて主神や本宮を変えたものではないだろうか。岩手の豊かな山を見ていると、縄文の人々がいかに山を尊んだか分かる気がする。食料や住居・暖をとるための木材をあたえてくれる恵みの元でもあった。自然の中に神を見い出した縄文人たちは当然山そのものも神と崇めたに違いない。縄文人の痕跡は北海道から九州まで認められる。そしてその地域に全て山神がある。おそらく縄文時代に生まれた山神はしかし、その後、職業の分化とともに変質して行ったのだろう。狩猟者や林業、鉱業、農業ごとに山神の祀り方や山神の意味が異なって来た。ただ共通しているのは山神は女性であることだ。これもやはり女性を土偶として敬った縄文の名残りだろう。巨石に神性を認め、山中の巨石のあるところを聖地としていた。和田家文書では弥生時代に始まる荒覇吐王国では天・地・水を祀る荒覇吐神が信仰されたが、これは先住の縄文時代に渡来した津保化族の信仰であった。青森県の三内丸山遺跡に見る三段の六本柱建物はまさにこの天・地・水を祀る祭壇として文書に書かれている。しかし、あくまでも荒覇吐神の聖地は山の中の人があまり立ち入らないところに設けられたとある。縄文時代はブナ・ナラ・トチノキなどの落葉樹が北海道から九州まで広がっていた。従って列島で暮らした縄文人はほぼ共通の生活形態を維持出来たと思われる。現在の東北と同じく縄文時代は九州まで落葉樹が動物たちにも食料を供給していた。山は豊かな動植物で溢れていただろう。そんな恵みを与えてくれる山は時には厳しくもあり、そこに恐れも感じていたはずだ。自然とともに暮らし、その自然のもたらす天変地異に縄文人の人智を超えた神の存在を見出したのも当然だろう。自然に対する人間の存在は今も縄文時代と何ら変わりはない。


八幡神社近くの山腹の藪椿