昨日から梅雨に逆戻りしたような天気が続く。最高気温は23度で1日そんな気温が続いた。曇天だとすっかり秋の気配だ。2000年前の大賀ハスの二つ目の蕾が膨らんで来た。二つ目はずっと高く伸びて、藤棚の高さを超えて蕾を付けた。夏至も過ぎて2ヶ月になるため、日が暮れるのも随分早くなっている。 岩手は四国4県の広さがあると言われるが、厳密には四国よりは少し狭い。四国の面積は18,807Km2だが岩手県は15,275Km2だ。しかし、それでも岩手県は北海道に次ぐ日本では2番目に広い県である。その広さに127万5000人が住む。人口密度はKm2当たり83.5人だ。北海道はさらに低い64.8人である。私の実家は松山市だが、松山市のある愛媛県は面積は岩手県の3分の1にもかかわらず、人口は岩手県より多い138万8000人が住む。従って人口密度は四国でも最大で、岩手県の4倍近い244人にもなる。松山市は愛媛県の県庁所在地で、四国最大の都市で人口は51万6000人いる。岩手の県庁所在地は盛岡市だが、その人口は29万9000人だ。その二つの市を比較してみると面積は松山市が429Km2であるのに対して盛岡市はその倍の886Km2あり、人口密度では松山が1,200人で盛岡が338人となり、松山は盛岡の4倍近い。やはり県同士の比較と同じ結果になっている。四国では高知県が面積では一番広く7104Km2あるが、人口はその高知県が一番少ないため、人口密度は4県の中で最も岩手県に近い103人となっている。逆に四国で人口密度の最も高い県は香川県で、岩手県の12%の面積に97万8000人が住み、人口密度は岩手県の6倍の521人にもなる。かっての岩手は「日高見国」と言われたとされるが、和田家文書ではその名も称されているが、本来は「日之本」国であるとされる。四国は一般に古事記では「伊予之二名島」がそれにあたるとされる。四国は4つの国があるため四国と呼ばれる。しかし、九州は何故9つの国があって九国と呼ばれないのか。やはり古事記では「筑紫島」と呼ばれている。いつ頃から九州と呼ばれるようになったのかは定かではない。四国が何故「伊予之二名島」と呼ばれたのかも古事記は明らかにしていない。無論古事記には「日高見国」や「日之本国」の名はない。古田武彦氏は『九州王朝の論理』で「九州」とは中国では「天子の直轄領」を表す概念であり、中国の南朝が滅亡した後、自らを天子と名乗った隋書の倭国伝の俀王、姓は阿毎、字は多利思北孤とある人物が自らの直轄領を九州と名付けたとされる。歴史学者や教科書はこれまでこの人物を推古天皇として来た。しかし、妻や太子を持つこの人物は男性であり、女性である推古天皇ではあり得ない、と古田氏は再三述べられている。四国と同様に九国とされなかったのはまさに九州王朝が存在していたからだ。その地の歴史は全て勝者が作る。敗者の歴史は抹殺され、痕跡すらも塗り替えられてしまう。


二つ目の大賀ハスの蕾