今日は朝から曇天で、時折小雨も降り、夕方には雷を伴って、雨も降った。何日か前に元職員の方が山田町で行われている遺跡の発掘の説明会があると言うことを教えてくれていたので、昼間から山田町へ出かけた。震災後、三陸沿岸部を縦断する三陸自動車道の工事が加速された。その工事の前の調査で各地で遺跡が発見された。その一つの山田町の間木戸I遺跡で発掘中の説明会がある。山田町に入り、山田湾を見ると、山背の霧が海の上を陸に向かって流れていた。発掘現場は思ったより山間にあり、ちょうど自動車道の工事現場にもなっていて、ダンプカーが行き交っていた。調査員の説明では現在の発掘現場では50軒の縦穴住居跡が見つかっていて、すでに工事のために壊されたところでは160軒の住居跡が見つかっているので、200軒以上の集落であったことは間違いがないと言う。4500年前の住居跡と5000年前のものがあると言う。ただどうもやはり土器編年で出されているようで、そこが何か割り切れないものを感じた。いまだに非科学的なやり方が行われている。C14の同位体を使った方法がとられていない。海からはかなり離れているが、近くからは貝塚も出ており、調査員に聞くと、やはり、縄文海進で、当時は海がもっと陸の方へ入り込んでいたようで、現在よりは海にずっと近かったようだ。何故なのかまだ明確な答えは出ていないようだが、多量の土器片が集まったところも見つかった。また50個ものフラスコ状の土坑が見つかっており、貯蔵庫として使われたと見ているようだが、その証拠となる貯蔵物は見つかっていないと言う。一部の土坑には炭が敷かれていて、乾燥のために敷かれたものではないか、と言うことだ。貴重な翡翠のようなものは見つかっておらず、そのため調査員の方はこの集落は貧富の差のない普通の人々の集落ではなかったか、と考えておられると言う。しかし、200軒にもなる集落で長がいないと言うことは考えられないので、自動車道に当たっていない未発掘の場所がまだたくさん周囲にはあるので、むしろ、そこには何か貴重なものがあるのではないか、と思われた。黒曜石が見つかっており、近くにいた調査員にどこの黒曜石なのか、尋ねたが、明確な答えは聞かれなかった。東北近辺では黒曜石は出ていないので、おそらく北海道あたりから入ったものだろう。少なくと他地域との交流があったと言うことだ。調査員に聞くと、この山田近辺の沿岸部では弥生時代の遺跡は見つかっていないと言う。しかし、たくさんの縄文遺跡が見つかっているのに、その人々の子孫が弥生時代に絶えたとは考えられない。おそらくまだまだ未発掘の遺跡が東北にはたくさん眠っているはずである。この多くの縄文遺跡もたまたま工事があったから見つかったものだ。東北はそうした開発が他地方に比べて少ないために、こうした結果になっているだけだと思われる。












霧が海の上を流れる

発掘現場

縦穴住居跡

土器がたくさん土から出ている

フラスコ状の土坑

出土物

出土物

出土した縄文土器

黒曜石

平安期の鉄製品が混じる

調査員の説明