昨日からの雨が今日も降り続いている。この時期に気温が下がらず、助かっている。もし、例年のような気温であれば、間違いなく大雪になっていただろう。しかし、予報では明日にかけてさらに低気圧が発達するようだ。ただ、気温はさほど下がらないので雪はともかく心配ないようだ。昼休みに雨の中、甲子川へ出てみたが、白鳥の姿はむろん、他の水鳥たちの姿も消えていた。よく見ると、増水した流れにオオバンだけが下流に向かって流れ下っていた。オオバンの周囲には枯葉も一緒に流れていた。これだけ雨が降れば、枯葉も枝から打ち落とされてしまうだろう。 子供の頃は今ほど食べ物も豊富ではなかったから、子供が口に出来るものも限られていた。そんな中で、父の実家でつく餅にはとても気が惹かれた。臼でつかれた餅が手で丸くされて並べられる。神棚やすぐ近くのお地蔵さんに供えられる。ある時、とても待ち切れず、お地蔵さんに供えられた餅をこっそり戴いたことがある。あんこの入った出来立ての餅だ。誰にも見られていないと思っていたが、しっかり近所の人に見られていたことがずっと後になって分かった。子供の頃から餅と言えば丸い餅だった。正月の雑煮にも丸い餅が使われていた。しかし、東京をはじめ関東では角餅になっている。この東北もやはり角餅だ。この違いは何に由来するのだろう。そこでこのことを調べてみた。もともとはやはり京都の丸餅であったようだ。しかし、江戸時代に餅を「のし」て角餅を作るようになった。「敵をのす」ことに通じることから、この角餅が江戸を中心に広がって行ったと言われる。そして面白いことに、丸餅と角餅の境がおおよそ岐阜県関ヶ原付近になっている。ここを境に東は角餅、西は丸餅なのだ。さらに関東から北海道までは角餅を焼いたものが雑煮に使われる。これに対して、中部から西は主に餅を煮た形で雑煮が作られている。中部圏はちょうど折衷的な食べ方になっている。ただ、近畿の一部や九州でも両者の折衷的な食べ方が行なわれているところもある。岩手県にいて、ちょっと奇妙に思うのはこの角餅のことだ。岩手県は南部の殿様が京都の公家の娘をもらった関係で、料理の味付けが京風の薄味になったと言われている。大阪で生まれ育った母の味に慣れているため、岩手の料理はだからとても口に合う。ところが餅だけは関東と同じ角餅であるところに違和感を覚えるのだ。南部藩は吉村貫一郎役の中井貴一の映画「壬生義士伝」でも描かれているように、最後まで幕府側に立っていた。そんなことも江戸ではじまった角餅が使われていることに関係しているのかも知れない。ただ、正月の鏡餅だけは全国で丸餅が使われている。さすがに鏡餅は古くからの神を祀る習慣であったために崩せなかったのだろう。古くから日本では稲や米に稲魂が宿ると考えられており、餅はその米をつき固めるため、尚、稲魂が強く籠ると考えられた。紫式部の『源氏物語』にも「歯固めの祝いして、餅鏡さへ取りよせて、」とあるようにすでに餅鏡、鏡餅が供えられていることが分かる。ちなみに、ここで言われている「歯固め」が雑煮の由来だと言う。長寿のためには丈夫な歯が大事であることが理解されていたのだ。「齢(よわい)」と言う字にはわざわざ「歯」が入れられている。「年歯(としは)」などと言う言葉まである。『論語』には「没歯」と言う言葉があり、寿命が尽きることを言うようだ。丈夫な歯を持つ人が長生き出来るところから、鏡餅を神棚に供えた後、それを食べることが歯固めとして長く伝わって来た。また、奈良時代に書かれたとされる『豊後国風土記』や『山城国風土記』には、餅を弓矢の的にして射ようとすると、その餅は白鳥となって飛び去って行き、人びとは死に絶え、水田も荒れ果てたと言うことが書かれているそうだ。古代には神の使いであると考えられた白鳥と同じように餅が見られていたと言うことだ。恐らく餅の起源はさらに弥生時代にまで遡るだろうと思われる。特に、豊穣な実りと安定した生活をもたらしてくれる米への感謝の念が神聖なものとしての餅に込められたのだろう。現代はあまりにも食べ物が豊富にあり過ぎる。食べ残しが毎日ゴミとして棄てられる。食物へのありがたさは忘れられている。餅を見る度にあのお地蔵さんから勝手に戴いた餅を思い出す。
増水した甲子川の流れに乗って下って行くオオバン