今朝も薄い氷が張っていたが、水落をした庭の水道は凍っていなかった。空を見ると、珍しく雲が東から西へ流れており、西の空は晴れ上がっていて、愛染山がくっきりと見えた。最近は庭木にも水をやらなくなった。へたにやると土が凍って、枯れてしまう。クマと同じく東北の花木は冬眠に入る。冬の間は最小限の水分でちゃんと生きている。雪や氷の下で密かに眠って春の到来を待つのだ。環境に素晴らしく適応している。生きることは適応でもあるわけだ。 昨日、政府は外交・安全保障政策の指針「国家安全保障戦略」と、国防の基本的指針となる新たな防衛大綱、中期防衛力整備計画(中期防)を閣議で決定した。MSN産経ニュースが「「戦える自衛隊」へ本腰 陸自を大変革、海空優勢」と題して報じるほどに「戦い」を重視し、これまでの専守防衛とは180度の方向転換を行なった。中国を明確に意識し、尖閣諸島などの離島を考慮した上で、15の師団・旅団の7つを「機動師団・旅団」に改編し、空輸ができる機動戦闘車を戦車に代えて配置することになった。同紙によれば陸上自衛隊幹部自身が「創設以来の大改革」と言うほどの方向転換だ。平成26年からの中期防には24兆6700億円が投じられることになった。戦後の1950年に警察予備隊が発足してから、保安庁、防衛庁、と名前を変え、、2007年に防衛省と昇格するに至る道筋を見れば、いずれ首相の望む国防軍に変わって行くことが予想出来る。すべて憲法「解釈」でなされて来た。「解釈」は官僚の十八番だ。実質政治家三世の現首相のような御しやすい復古調の首相が出れば、官僚はたちまち動きを大きくする。ここぞとばかりに望んでいた方向へ一気に走り出す。マスコミを通じて中国の脅威、北朝鮮の脅威を煽り、軍備の必要性を強調する。ごく普通に考えれば、現在の自衛隊は世界的に見ても、立派な軍隊である。しかし、平和憲法を考慮して、決して軍隊とは言わない、少なくともこれまでは。現実と「解釈」が乖離し、とても曖昧な状態が作られるのが日本だ。そしてその曖昧さが官僚にとっては最も都合がいいのだ。曖昧さは責任の所在が不明確となり、「解釈」でいつでも中身を変えられる。このこと自体がすでに日本という国が民主国家ではないことを表している。官僚国家である。民主国家では条文に明確な責任の所在が載せられる。明確な定義があり、「解釈」の余地はずっと少なくなる。その意味では戦後、米国が戦犯とした戦中官僚を復帰させた時点から日本の戦後の曖昧さは始まったと言える。フランスも日本と同様に官僚制の国であるが、日本と異なり、条文が明確で官僚の義務と責任がはっきりしている。政治家のイニシアティブも堅持されている。日本では政治家も財界人も官僚も劣化が激しいが、特に政治家の劣化が抜きん出ているため官僚たちに付け込まれてしまう。秘密保護法はその官僚の独走を確実に許してしまった。国防軍はそのうち実現して行くだろう。


晴れ上がった空を背景にした愛染山