今朝はここ数日では比較的暖かく、水溜まりにも氷は張ってなかった。青空が広がり雪を冠った愛染山がまぶしく見えた。出勤時に気になっていた白鳥を見ようと、甲子川沿いを走ってみたが、白鳥たちの姿が消えていた。渡りの途中で立寄っただけであったにしても、昨夕帰宅時には暗がりの中で白鳥の姿がともかく確認出来た。あまりに早い旅立ちだな、と思っていたが、昼前に職場を抜けて匠の方のお父さんの葬儀に行こうとしてさらに甲子川の上流を見てみると、いた。昨日見た白鳥たちがずっと上流に移動していた。 匠の方のお父さんの葬儀は曹洞宗のお寺で行なわれた。何年か前には巨匠のお一人の奥様の葬儀もそこで行なわれた。檀家としては寺からかなり離れているように思うが、かっては広い範囲が同じ町域だったのだろう。曹洞宗は鎌倉時代に道元が開いたが、道元自身は宗派名を唱えることを嫌った。従って、曹洞宗の宗派名は道元の後で名乗られるようになった。現在は禅宗の一派と看做されているが、やはりそれも道元の後に、南都六宗の一つである興福寺からの迫害を受けた達磨宗と一緒になった後である。本山は福井県の永平寺だ。葬儀の時のお焼香は同じ仏教であっても回数が違っていて、迷うことがある。ほとんどは他の人のやり方を見れば何とかなっているが。曹洞宗では正式には2回となっていたが、今日見ていると1回で行なわれていた。日蓮宗や真言宗では3回になっている。浄土真宗は宗派により3通りに分かれていたりする。実家は神道だが、神道の場合は玉串と呼ばれる紙垂(しで)の付いた榊が使われる。神道でも柏手の打ち方が宗派によって、やはり異なっている。仏教にしても神道にしても原初的な様式はもともと一つであったと思われるが、それぞれの宗派意識が違いを生み出して行ったのだろう。古田武彦氏は「生きる」、「死ぬ」の言葉は中国由来の言葉ではなく、日本で生まれた純然たる日本語だと考えておられる。「生きる」は息をすることから来ていると言われる。「生きる」の対語としての「死ぬ」もやはり、従って日本語なのだと考えておられる。人は亡くなれば現世には焼かれた骨だけが残る。そして人々の心に亡くなった人の記憶が残る。葬儀の形式を通してその人の死を悼むのだ。残された家族には、しばらくは亡くなった人の不在が受け入れられない。時間が徐々に不在に慣れさせてくれる。生と死は人が地上に現れて以来、いつの時代も変わらない。しかし、時代とともに死に意味付けを与えるようになって行く。それが神であり、仏である。生きる自分たちを守ってくれる存在として意識される。未知なるところへ去って行ったが故に尊く思われるようになる。それは同時に未知なる力をも持っているものと思われるのだ。死は死でしかないのだが、生きるものにとって、その死を希望に繋ぎたいのだ。自分たちを超える存在として考えたいのだ。宗教があまりに形式化されると原初の宗教に見られた死への意味付けがかえって忘れ去られてしまった。そして亡くなった人の生前の記憶だけがその人の死の意味となってしまった。もはや死者は神でも仏でもなくなってしまった。
甲子川上流で見かけた白鳥たち