今日は昨日よりわずかに気温が高かったのか、霜柱は立っていなかった。水溜まりには薄い氷が張っていたが。愛染山をはじめ西の高い山々にはもうみんな雪があった。出勤時にいつもの甲子川沿いの道を車で走っていると、今冬はじめて7~8羽の白鳥を見かけた。これは昼休みに来て見なければと思ったが、肝心の昼休みにカメラを持って出かけて、いざ、シャッターを押そうとすると、何の反応もない。青空が広がり、寒いが気持ちのいい日射しだった。写真を撮るには絶好の条件が揃っていたが、電池切れだった。 2~3年前に人望があり、実力もある方が職場を辞められた。その方が、久しぶりに職場に来られた。奥様が重病で大変なご様子だった。しかし、そんな中でも被災者のために「後方支援の後方支援」をされておられた。遠野に住み、田畑を持っておられる。地域のまとめ役も引き受けておられた。そこで、自分たちが被災者のために何が出来るか、考えられた。被災者は仮設住宅に入ると、ほとんどの人が外部との接触を避け、閉じこもってしまう。その方は地域と被災者の両方に呼びかけられた。自分たちの田畑の作物の農作業を共にやろうと。被災者に直接土に触れてもらって、収穫の喜びを味わってもらうのだ。呼びかけに応じる人が出て来て、次第にそれが広がって行き、被災者も心を開くようになった。この活動が人の耳にも入り、この方は最近国からも表彰を受けられた。たまたま、宿泊所を求めていた東京の調布市のボランティアの人たちへも地域の集会所を提供された。そして、地域の人たちを説いて、自分たちの家庭で作った地域の総菜を1日目のボランティアの人たちとの交流の場に持ち寄った。さらには、遠野の「語り部」の方にも参加してもらって、1日目にはその語りも行なうようになった。調布市のボランティアは次第に数が増え、現在も回を重ねてやって来ている。1日目には地域の人たちも集会場に嵌り切れないほどやって来るようになった。3世代が手を取って集まって来る。祖母の手を引く孫の姿に感激されたと言う。ここには形だけの単なる支援ではなく、固い人の結びつきがある。自分の立ち位置を踏まえた継続出来る支援の姿がある。震災後多くの「支援者」が被災地にやって来た。TVの入れ替わって行く芸能人のように、やって来ては、また、去って行く。一時的な高揚だけを与えて。被災者はそのことにも気付いている。「支援者」が去ってしまうと、また、日常の「閉じこもり」に戻って行く。外部との接触は再び切れてしまう。震災後の多くはこの繰り返しであった。「閉じこもり」に戻ってしまった幾人かが、自ら命を絶って行った。被災者に真に必要なものは実体のある「絆」だ。そのためには、被災者が一時の癒しに浸るだけではだめなのだ。被災者自ら行動出来なければ「絆」は生まれない。そのことを遠野の方は知っておられた。慣れない手であっても、土に触れ、教わりながら農作業しているうちに、心が解放されて行く。周囲の人との会話が溢れるようになる。自分で育てたものの収穫にも喜びが感じられる。また次の年に繋がって行く。開かれた心の交流も一時では終わらない。いつも目にする「絆」がそこには実体として生まれている。この方の活動は被災者全体を考えれば、ごくわずかな活動でしかない。それでも、閉じこもった被災者の一角を崩し始めているのは確かだろうと思う。
寒さの中で終わりかけて来た紫の菊