お盆に続く休暇中は、東北ではこの夏一番の暑さだった。その期間に東京から縁者が釜石へ来訪した。東京の猛暑を逃れて、涼しいはずの東北を訪れた。残念ながら気温は期待を多いに裏切ってしまった。それでも東京と異なり、朝晩は多少気温が下がった。昨日、盛岡から東京へ帰って行ったが、昨日あたりから朝晩の気温はさらに下がって来た。釜石から北隣の大槌町まで沿岸部の被災地域を見せて回った。TVやYouTubeでは震災の状況を見ていたが、実際に被災地を見ると、あらためて、その空間的な広がりが分かり、凄まじさが理解出来たと言う。もう夏草が茂った唐丹小学校跡地付近の堤防の上に立つと、津波の大きさが実感出来る。瓦礫や悪臭はなくなり、夏草の茂る更地だけが広がる。お盆を迎えた被災地には花が添えられたところが何か所にも見られた。高さ48.5mの釜石観音の胎内を上った展望台から釜石湾を見ると、破壊された防潮堤がはっきり見えた。まだ本格的な工事も行なわれていないようだ。市街地の公園や鵜住居川の上流に沿った山間部の仮設住宅、平田地区のモデル仮設住宅なども見せて回った。市内には100カ所もの仮設住宅がある。もともと湿地帯であった鵜住居の平地部に建てられた防災センターは多くの人が避難し、避難したために犠牲となってしまった。その防災センターもこの8月には取り壊されると聞いていたが、まだ、そのまま残っていた。両石地区ではわずか2軒しか残らなかったが、その1軒は、家を残して住人は他へ移ってしまった。高台にあるこの2軒が更地の他の部分と際立っていた。これだけ時間が経っても、津波対策はまったく進んでいない。震災後、地盤が70cm沈下した釜石に今津波がくれば、また大きな被害が出るだろう。釜石の市街地を車で走っている間に、2度ほど鹿を見かけた。1度は車から2mほどの距離で出くわした。釜石を案内した後は、希望で平泉の毛越寺と中尊寺を案内させてもらった。毛越寺の境内では800年前の甦った蓮の花が咲いていた。暑さの中で中尊寺の坂道を上るのは大変であった。何度目かになる金色堂も、いつみても奥州藤原氏の栄華がどれほどのものであったか思い知らされる。8世紀に完成した東大寺の大仏も東北の金の産出で賄われている。中尊寺の境内からは眼下に北上川の流れを眺望出来る。藤原氏はこの北上川を水運のために大いに利用し、盛んに貿易も行なっていた。当時は毛越寺の方が規模の大きい寺であった。源頼朝の侵攻で藤原氏は滅亡し、頼朝は寺社の保護を命じた。しかし、寺社の維持は次第に困難となり、次々に廃寺となって行く。毛越寺の境内にある芭蕉直筆の「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑の前で記念の写真を撮った。実際には、義経が住んでいた高舘で詠んだ歌だ。花巻駅まで同行し、そこで、分かれて列車で釜石へ戻った。縁者たちは花巻温泉で一泊し、翌日、八幡平に向かった。昨日、車を受け取ることもあって、再び、列車で盛岡まで出て、駅近くのホテルで出発までのわずかな時間を過ごした。八幡平は気温が16度だったそうで、半袖姿は他にはいなかったそうだ。霧が深く立ちこめていたようだ。釜石の新鮮な食を味わってもらったが、特に、生の塩ウニが多いに気に入ったようだった。5歳の子供がウニとイクラのどんぶりをウニだけすっかり食べてしまったのには驚かされた。それだけ、釜石のウニが新鮮で美味しかったのだろう。今日はまた一段と朝の気温が下がり、日中の日射しはまだ夏の日射しだが、日陰ではさほど暑くなくなって来た。気が付くと、いつの間にか、エゾゼミに混じってミンミンゼミが鳴いている。昼休みに職場の近辺を回ると紫陽花がまだ咲いていた。クチナシの花や月見草、百日紅、カンナ、薮萱草なども目に入って来た。 
(休暇中も毎日150人以上の方に、ブログにアクセスしていただいていた。大変申し訳なく、また、とてもありがたい気持ちで一杯です。ほんとうにありがとうございました。)
もう、色付いて来た七竈(ななかまど)の実