雲の多い日で時々日が射す。いつもより風も少ない。そのせいか庭で身体を動かすと昨日よりかえって汗が出る。庭の酔芙蓉がようやく蕾を膨らませて来た。近くの山の方からはミンミンゼミの声が聴こえて来る。日中でも庭ではコオロギが鳴く。犬たちにはまだ暑いようで口を大きく開けて喘いでいる。釜石の中心を流れる甲子川沿いではあまり水田は多くはないが、鵜住居川沿いになると上流にかけてずっと水田が多く見られるようになる。そのため鵜住居川の中流から上流にかけての風景が遠野に似ている。釜石ではここの田園風景が一番気に入っている。もともと四国の海も山もある環境で育ったせいで、釜石のように海も山も近い環境はとても好きなのだが、釜石では最も近い海には砂浜がない。護岸設備が施されていて、自然の岸辺ではなくなっている。子供の頃はいつも水田を近くに見ながら通学していた。稲穂に止まる赤トンボや台風でなぎ倒された稲などは何度も見ていた。どこの地方でも次第にそうした田園風景は市街地から消えて行った。住宅や道路などで埋め尽くされるようになった。環境考古学の研究者である安田喜憲氏は中国や欧米を畑作牧畜民と見て、日本を稲作漁撈民と考えて、対比させて文明論を展開しておられるが、雑な論考に大部分は付いて行けないが、森の存在の重要性を説かれていることには納得出来る。森が自然の循環に果たす役割は極めて大きい。この場合の森は山などの木々も含まれている。高度経済成長により、水田だけではなく、森も多くが消えて行った。新幹線で仙台付近を通過すると、かっては豊かな森が広がっていたはずの丘陵地が家で埋め尽くされている。釜石のかっての姿は見ていないので定かではないが、新日鉄全盛期以前の釜石では甲子川沿いにももっと水田が広がっていただろう。2500年もの長い間列島に続いて来た田園風景はわずかな期間に瞬く間に消えて行った。これまでは「開発」が主因となって田園が消えて行ったが、これからは、田園の支え手がいないために失われて行くだろう。稲作だけではなく農業一般が現在では専業とするには収入が十分ではなくなってしまった。その点では漁業も同じなのだろうが。自然を相手の仕事はとても大変だ。若い世代はそうした仕事を嫌う。その上、若者自体も少なくなって来る。列島の総人口も次第に減少して来れば消費量も当然減少するだろう。田園風景はますます見られなくなる可能性が強い。荒れた耕作地や水田跡が放置される状態になって行くだろう。東北は列島の米づくりを支えて来た。北海道の一部を除けば列島では最も広く田園の広がる地域だろう。しかし、米の消費量は1962年をピークに以後着実に減少し、現在はピーク時の半分になってしまった。世界的には米の生産量は逆に増え続けている。消費量で見れば稲作文化とされて来た日本は世界のわずか2%に過ぎない。中国は30%を占め、インドがそれに続いて21%を占めている。インドは米の品種が異なっているが、中国は日本と同じジャポニカだ。何十年か後には人口減少によって雑草の茂る水田跡が野原となり、荒廃した家屋が建ち並ぶ風景が東北に見出されるようになるのかも知れない。


若手の匠の方から頂いた今では貴重な手作りの魚籠(びく)