今日は昨日までと違い少し気温が上がって来たが日が余り射さない。昨日までの雨や雪で庭の杏の花が少し散ってしまった。椿の花も庭と塀の外の通り道へもかなり落ちている。それでも椿の花は今一番たくさん開いている。その椿の花の蜜を吸うためにヒヨドリが集まって来る。甲高い賑やかな声が聞こえる。釜石に偶然いて震災を経験した娘は今大阪で大きなギャップを感じているようだ。大阪の店舗にはたくさんの品が溢れ、空いた棚がないことに違和感を覚えると言う。様々にかけてくれるねぎらいの言葉にも中にはやはり違和感を覚えるようだ。今週末のゴスペルコンサートで震災のためのチャリティーをやるのだが、そこで釜石で経験した震災について語り、支援を訴えることになっている。他にも知人で震災支援のためのラジオ番組をやることになった方からも出演を依頼されている。しかし娘はあまり震災当時のことは思い出したくないという気持ちもあり、どう語るか悩んでいるようだ。この気持ちはよく分かるような気がする。自分でも釜石以上に被災状態のひどい大槌町や山田町へはどこか行きたくないという気持ちが強かった。自然の威力で人が完璧に打ちのめされた状況はあまりにも正視するに耐えない。生と死を目前にするだけでなく、生ですら生に値しない状況に立ち置かれてしまう。今回は非被災地である大阪にいれば、ギャップはさらに大きいだろう。TVの被災地番組や有名人の被災地視察はそれはそれで少しでも支援にはなるのだが、一方でどこかやはり正直違和感を感じるところがある。娘が昨日メールで教えてくれた海外からの動画の支援の方が何か心を動かされるものがあるような気がした。特にアフリカのケニアの80万人が住むと言われる世界最大のスラム、キベラの小学校の生徒たちの歌には感動を覚えた。3年前のケニアの暴動で親を失った子供たちも恐らくいるのではないかと思う。涙を流す少女には日本の被災地で命を無くした人々の姿が自分の体験と重なったのではないか。子供たちの歌には生と死を体験したものの共感が感じられるように思う。
Prayers from kibera for Japan ~祈り~ キベラから日本へ