今朝はまた何日かぶりに土が凍っていた。夜は時々鹿や狐の鳴き声を聴くことがあるが、今朝は珍しく朝鹿の鳴き声を聴いた。ちょうど庭の杏の花の蕾を見ている時だった。釜石へ来た当初はそれが鹿の鳴き声だとは思いもしなかった。鹿の声が聴こえるということ自体が頭になかった。北海道では街中を狐が歩くことはあったがさすがに大きな蝦夷鹿が街に接近することはなかった。釜石は南北の山に挟まれた街だから鹿も近くに来るのだろう。花巻市にある胡四王神社や出雲のいわゆる「国引き神話」に登場する越の国の「越」が東北と同じく北部九州以外では気になっていた。荒覇吐王国である日本(ひのもと)国を興した安日彦を祖として後の奥州安倍氏に繋がる福島の三春藩第八代藩主秋田倩季(千季)の縁者秋田孝季(たかすえ)は青森県津軽の和田家に残された資料で何度か越の国のことに触れている。『北斗抄 七』の「みちのく夜話」で「さて、安倍一族の大祖の事は、越の犀川の三輪山、そして白山に祖因ありけるを知るべし。越とは倭王の出自ありきも、三輪山、白山、を一族の神として、加賀に勢をなしたる九首龍一族なり。祖は支那長安の西大白山の人なりと曰ふも、定かなる明細ぞ不詳にして、その一族が黄河を降り、天津にいでて、朝鮮に渡り、大白山に駐まること久しく、越えて加賀に渡り、白山、三輪山に子孫を遺し、その宗家にては、立山にありて、耶靡堆に移り蘇我郷に三輪山を祖神と祀りぬ。大物主神と曰ふ神を鎮座せしめ、山を御神体と仰ぎぬ。茲に君臨し、耶靡堆彦王とて土人、民族を併せ攝州なる膽駒山に至る国造りをなせり。 代々降りて三輪山安日彦王、膽駒山長髄彦王のとき、筑紫より佐奴王、東征に難波を攻むる。三年に渡る攻防の後、敗退、やむなく一族挙げて東日流に落着せり。 時、同じゅうして、支那より君公子一族、落漂し来たり。併せて国造り日本国と号けたり。その子孫こそ安倍氏なり。始め阿毎氏とせしも、安倍日本将軍国安、または安国とも称したるより、正姓安倍氏と曰ひり。」と語っている。安倍氏の祖はたどれば支那大白山に出て、朝鮮を経由して加賀に至り、加賀の白山、三輪山に子孫を残したが宗家は近畿の蘇我郷に移り、そこの三輪山を御神体とした。神武の東征に敗れた宗家の安日彦・長髄彦兄弟はやむなく津軽に逃れ、日の本国を建国した。ここで記されたことから考えると花巻や秋田に胡四王神社があることも理解できてくる。このことを実証できる史跡がさらに発掘されれば尚確かになるのだが。いずれにしろ非常に重要な資料だと言える。(尚、「越とは倭王の出自ありきも」は継体天皇を指すものと思われる)


杏の花の蕾がまだ小さいが見え始めた