19歳の時に自動車の免許を取ったが、そのとき一緒に自動車学校へ行った幼友達は早くに逝ってしまった。その頃の学科試験は70点以上が合格だった。小学6年の担任が「君らが大きくなったら、アメリカのように一家に一台自動車があるようになるだろう」と言った。その時はとてもその言葉が非現実的に思えた。今や一人に一台の時代になってしまった。免許を取った頃はまだまだ車の所有は高値の花だった。就職して一年目に会社の先輩と共同所有したのが相当古いコラムシフトの日産ブルーバードだった。単独で所有した最初の車はスバル1000と言う水平対向エンジンのポンコツだ。今にも錆びたマフラーが落ちそうだった。それでも自分のものとなったその車は最高の喜びを与えてくれた。三菱のランサーターボが国際ラリーで活躍していた頃にそのランサーを買って、4点シートベルトや足回り、フォグランプなどを改造してラリーへ出る準備を進めた。富士スピードウェイのコースを走り、カウンターのあて方なども学んだ。結局仕事の都合でラリーへの出場はできなかった。北海道で住んでいた頃も広い北海道の長い直線道路を大いに楽しんだ。公道で200Km/hrオバーをやったこともあった。そして北海道は冬道の怖さも教えてくれた。ブラックアイスで家族を乗せた車で完全に天地逆転したこともあった。奇跡的に全員無傷だった。あっ、と思ったらもう逆さ吊りになっており、この時初めてシートベルトの威力を知った。車はかっての自転車のように数がどんどん増えた。数が増えるとともに路上のマナーの低下が進んだように思う。今娘が自動車教習所に通っているので、娘を助手席に乗せた時には、周囲の車の運転マナーの悪さも指摘して教えている。岩手は広いが道路は北海道ほど広くない。むしろ道路は狭い。それだけに互いの譲り合いがなければ実質的に道路の利用効率が悪くなる。遅い車の後ろに延々と車が連なっている場面を岩手ほどしばしば見かける所は初めてだ。追い越しのできるところでも誰も追い越しをせず、遅い前の車も後続車に先を譲るということもない。右折車が対向車の過ぎるまで道路の右へ寄らず、堂々と真ん中で止まって待っているために後続車も止められてしまう。誰もクラクションも鳴らさず、じっと待っている。狭い道路と広い岩手だからこそ譲り合いが必要だと思うのだが。

毎年今頃が八幡神社前の紅葉が見頃になる 木が大きいせいなのか他の木よりずっと遅い