昨年末に匠の方の家で縁戚にあたられる方にお会いした。現在アメリカで経済学の研究をされている若い学徒の方だ。日本で年末年始を過ごされるために帰国して郷里の仙台へ戻られる前に日本の原風景を見るために遠野を一人で回られた。早池峰神社にも興味を持たれていてわざわざ出かけられたそうだ。自分が同じ年頃の頃ほとんど歴史に興味が無かったことを思うと感心させられる。遠野は確かに日本の原風景と言えるように思う。京都や奈良、あるいは秋田県の角館や山口県の津和野といったいわゆる小京都と言われるある時代の文化が残されたところとも違ってごく普通の庶民のかっての暮らしがそのまま残されているようなところが遠野にはある。遠野は柳田国男の「遠野物語」であまりにも脚光を浴びてしまったが、それでも遠野市はその原風景をうまく保存してくれていると思う。釜石に住んで岩手県内や秋田県に足を延ばして回ってみると東北には「原風景」がたくさん残されていることが分かる。以前見た映画「たそがれ清兵衛」のいくつかのシーンでロケ地として使われた山形県鶴岡市などの風景もその一つだと思う。東北ではないがやはり映画「阿弥陀堂だより」で見た長野県飯山市の風景も強く印象に残っている。いずれの映画のシーンにも共通に感じるのは雪が降る里のイメージのように思う。BSジャパンで「にっぽん原風景紀行」という番組を昨年1月から再放送していて今年5月の56回までの予定が出ているがそのうち東北が9回出ていてやはり東北には誰もが原風景を感じるようだ。日本の原風景というと田園風景が一般的だが確かにそれは原風景の代表的なものなのだろう。遠野で好きなコースがやはり田園地帯を走る旧の340号線なのだ。釜石から仙人道路を抜けて遠野に入るとすぐに右折して遠野の市街地を迂回してその北東部を走り、カッパ淵近くを通って土淵の交差点に出る。このコースはほとんどが田園地帯で独特の農家の建物や延々と広がる田園を見ることが出来、時には野火の煙がたなびくのを見ることも出来る。しかし、田園風景に限らず雪山で鹿を追う人たちの姿や山が緑に変わる季節の老人の山菜採りの姿、小さな漁港で網の手入れをする初老の漁師の姿にも原風景は見ることが出来る。日本の原風景とは人々の中にある自然に直接立ち向かう人の姿であったり、その証であるように思える。これは遠い縄文の記憶と繋がっているのではないだろうか。弥生以後と比べて人と人との間の争いは少なく、自然とのたたかいは過酷ですらあるかも知れないが調和のとれた暮らしが営まれている縄文の生活。平安の宮廷人の歌や江戸の松尾芭蕉の俳句に詠われてきた道の奥への憧憬も現代の「日本の原風景」も同じものではなかったのだろうか。

雪雲の流れる遠野の田園地帯

雪雲の流れる遠野の田園地帯