今朝はまた雪が積もってしまったが、昨日の祭日は午前中は日が射していて気温も2度で風もなかったので、11時前に釜石の南に位置する唐丹の花露辺地区にある海頭荒神神社に出かけた。大曽根地区の集落から海岸沿いに山裾を北上ししばらく行くと、山裾に小さな祠があり、見ると山神と書いてある。しかしそれだけでそばにはなにもない。祠から50m位の左手上に巨石がある。さらに道なりに右手に海を見ながら進むと左手上に海頭荒神神社が見えて来た。階段を上ると鳥居が二つあり、新しく塗られた社殿の左手奥に石碑が立ち並ぶ。その右端の石碑にも山神と刻されていた。周囲には巨石が見られないので整理して他所から移されたのかも知れない。社殿の右手奥にはもう一つ祠があった。続いて職場の匠の方から聞いていた山田町船越の荒神社に向かった。船越半島の根付けを南に入った突き当たりにある荒神社の前は感動させられる海が広がり、三つある鳥居の最初の鳥居のそばの駐車場に車を止め、鳥居を潜って浜沿いにしばらく行くと第二の鳥居が浜の前に建つ。近くには一位(オンコ)の巨木がある。この鳥居を潜って階段を登ったところに鎮座する狛犬は向かって右の通常の口を開けた狛犬ではなく左と同じ「阿吽」の「吽」になっている。第三の鳥居の手前左手に山神が通常より立派に祀られている。この鳥居が荒神社の鳥居になっているようだ。荒神社の社殿の左手前に派手な色の宝剣が祀られていた。荒神社の右手の小山の上には源為朝の三男あるいは四男で鎌倉幕府より奥州閉伊郡の地頭に任ぜられた閉伊頼基の霊廟があり、ここの狛犬も両方が「吽」になっていた。以前にも荒神は全国に分布することを記したが、全国の遺跡で荒神の名が入るか遺跡の地名に荒神が入るものを調べてみた。北は北海道上磯郡知内町元町の荒神神社遺跡から南は鹿児島県曽於市末吉町南之郷の荒神免遺跡まで「荒神」の付く遺跡や地名にある遺跡の数は575カ所ある。東北では青森2、岩手1、宮城3、福島5となっている。遺跡に限れば岩手では岩手県奥州市江刺区の荒神社前遺跡の1カ所のみになっている。これらの荒神の付く遺跡は大部分が縄文時代の遺跡であるようだ。こんした単純な事柄を見ただけでも荒神が弥生の天照大神による国譲りや邇邇芸命(ににぎのみこと)による天孫降臨以前の神であることが伺われる。遺跡に限らなければ恐らく全国の地名で荒神の付く地名は相当数あると思われる。事実縄文時代はすでに全国に縄文人が住んでおり、以前は縄文人は東日本特に東北に多くいたとされていたが約9,500年前の鹿児島県の上野原遺跡が発掘されて以来、次々に九州や中国地方、四国の縄文遺跡も発掘された。しかし、6300年前九州南方の硫黄島の鬼界カルデラで超巨大噴火があり、九州の中部までが壊滅的な被害を受け、多くの縄文集落が失われた。地質調査で噴煙は東北地方まで及んだという。難を逃れ得た縄文の人たちは当然海に逃れて他地へ移動したはずだ。この海に出て海流にのってエクアドル・ペルーへ流され、バルディビア遺跡の縄文土器類似の土器を伝えた可能性が大いにある。先日訪れた釜石の荒神社にも同じ敷地内に山神が祀られていた。釜石近在の三つの荒神社・荒神神社はいずれもそばに山神が祀られている。山神も荒神もともに縄文の神々であったと思われる。ところで古田武彦氏は「神」の「か」は“神の賜うた、神聖な水”で「み」は“女神”から来た言葉だとされている(縄文は神は女性だ)。アイヌ語の「カムイ」の「カ」も共通するものと考えられているようだ。

唐丹の花露辺(けろべ)ーアイヌ語かー地区にある海頭荒神神社 鮮やかな朱が印象的だった

社殿左奥の石碑群 右端に見えるのが山神

釜石の北、山田町船越の荒神社第二の鳥居 前にはすばらしい海が広がる

第二の鳥居奥の階段を登ると右には珍しい「吽」の狛犬

これも山神にしては珍しい祀られ方をしている

第三の鳥居が荒神社のものになっている

荒神社社殿 さほど大きくはないが祭事がしっかり行われるためきれいに整備されている

社殿左手前のやはり珍しい彩色の宝剣

社殿の鼻木は龍ではなく通常通りの「阿」の狛犬のようだ