天気予報では今週末まで1日中氷点下の寒い日が続くようだ。土曜は最低気温がー8度と予想されている。ところで今週月曜の朝 JR 釜石線のダイアが乱れた。電車が2頭の鹿を轢いたらしい。単線のため上下線ともに影響を受けたようだ。3~4年前 JR と岩手大学が共同で鹿の侵入を防ぐ目的でライオンの糞から抽出したものを釜石線の線路付近に散布して鹿との衝突事故が年間20件あったものが3件に減少したそうだ。たまには熊が線路上に出て列車が遅れるということもあった。日本には古くから全土に鹿が棲息し、発掘された銅鐸の絵などに鹿を槍で狩猟する人の姿が描かれたりしている。対馬の佐賀貝塚では縄文人の人骨とともに縄文後期の最古の狩猟用鹿笛も発掘されている。鹿の角と鹿の胎児の皮を使って作られ、笛の音で鹿をおびき寄せる。全国では20個近くの鹿笛が発掘されているようだ。岩手のように山地の占める割合が高く、山そのものが豊な植生に富むところではなお鹿がたくさん棲息する。道具は違っても今でも鹿狩りは続いている。かっては山は里人にとっても貴重な食料源であり、特に鹿は動物性蛋白質の重要な供給を担っていたと思われる。狩猟の成果は気象やその年の鹿の棲息状況に左右され、厳しい山を相手にする中で山神への信仰も猟師たちには不可欠のものだったと思われる。大山祇神が一般には山の神とされているが猟師をはじめ山間に住む人たちの信仰の対象となっている山の神は女神であり、大山祇神という男神とはまた別である。大山祇神自体も縄文に遡る神であるが女神である山の神の信仰はさらに縄文を遡るものと思われる。そしてこの女神であることは上古の時代の狩猟に巫女が介在したのではないかという説を補強するもののように思える。巫女と言う特殊な存在だけが山へ入ることを許され、その資格のない一般の女性は入山が禁じられたのではないだろうか。万葉の時代まで下ると鹿は歌の対象にもなり、多くの鹿を詠った歌が見られる。一説には68首の鹿を詠んだ歌があるという。中でも斉明女帝の作とされる 暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家良思母 (夕されば 小倉の山に 鳴く鹿は 今夜は鳴かず 寝ねにけらしも) は教科書にも載るほど有名だ。662年に始まった白村江の戦いに大和の兵を自ら率いて九州の朝倉の地で亡くなったとされる女帝だ。ただ万葉集も7世紀半ば前後の歌は九州王朝の歌人たちのものである可能性が高く、この歌もまさにそうした歌だと考えられる。神武が東遷したように九州北部の地名も多くが大和に東遷された可能性がある。この歌の大和の小倉山の名はあまりにも有名だがこの山は実は九州宇佐八幡宮の近くの小椋山だという。また愛媛に住む郷土史家の方の著されたものを読むと斉明女帝が亡くなった地は愛媛県今治市に属するかっての朝倉村だという。そこには斉明女帝の墓や斉明女帝をめぐる伝承が多く残されているという。この朝倉近辺は古墳も多く、歴史的に非常に面白い地域なのだが。恐らくこの時代は四国や九州でも現在の釜石同様普通に山にはたくさん鹿が棲息していたのだろう。

蝦夷鹿より小型の日本鹿 東北の山にはたくさんの鹿がいるが岩手が北限になる