釜石へ移り住む前までは東北を訪れたことはなく、一般に考えられているように東北は東北でどこも同じような所だろうと思っていた。しかししばらく釜石に住んだだけでも東北各県各地で風土が異なることが分かって来た。言葉一つとっても明らかに同じ東北でも地域によりアクセントからして異なる。それでも四国などから見るとやはり東北に共通して感じる言葉のニュアンスというものもある。よく言われるずうずう弁というニュアンスだ。ところがこのずうずう弁は松本清張の『砂の器』で知られるようになった出雲にも見られるし、北陸の富山でも見られる。出雲には唯一残された『出雲風土記』があり、「国引き神話」と言われる神話が記されている。大国主命の祖父神に当たる八束水臣津野命(やつかみずおみつのみこと)が、国の狭さを嘆き、国土を広げるため次の四カ所から国を引っぱった。1 志羅紀の三埼(しらぎのみさき)、2 北門の佐伎の国(きたどのさきのくに) 、3 北門の良波の国(きたどのよなみのくに)、4 高志の都々の三埼(こしのつつのみさき)。岩波の日本古典文学大系ではそれぞれ新羅、出雲市大社町鷺浦、松江市島根町野波、越=能登半島付近だとされている。これに対して古田武彦氏は2と3の比定地が出雲市や松江市辺りではもともと出雲の勢力範囲であり国を広げる意味をなさないとされ、2と3に表れる北門を出雲の真北に位置するウラジオストックとされた。そして2 は北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の東岸部のムスタン岬、3 は「よなみ」を〃良港〃の意とされ、ウラジオストックを頂点とする沿海州だとされた。実際紀元前2000~1500年のものとされるウラジオストック周辺の三十数カ所の遺跡からは出雲の隠岐島(おきのしま)の黒躍石や秋田県の男鹿半島の黒曜石が多数発掘されている。縄文時代はこれまでの定説を覆す様々な事実が明らかになっており、単に三内丸山遺跡の巨大な集落だけでなく、海外との途方も無い交流が行われている。3世紀の書『三国志 』魏志倭人伝には倭人からの報告として女王国から4000余里に裸国と黒歯国があり、東南に船で一年で着くと記されている。南米エクアドルの6000年前のバルディビア遺跡では縄文土器に酷似した土器が発掘されており、愛知県がんセンター研究所疫学・予防部部長田島和雄氏は日本列島の太平洋岸の住民に分布する成人T細胞白血病ウイルス(HTLV-1)と同じウイルスが南米北・中部山地のインディオにも濃密に分布しており共通の祖先を持つことが支持された。また同じく約3500年前の南米北・中部山地のインディオのミイラの糞石からアジア、特に日本列島に多いとされる寄生虫も発見されている。縄文人たちは想像以上に活動範囲が広かった可能性が強い。ウラジオストックはツングース系民族の粛慎(しゅくしん)・靺鞨(まっかつ)の故郷でもあり、ずうずう弁に近い発声をするという。また『東日流外三郡誌』によれば津軽の荒覇吐族(あらはばきぞく)は先住の粛慎である阿蘇辺族と靺鞨である津保毛族を糾合して立てられたものと記されている。津軽や能登半島、出雲にはツングース系の粛慎・靺鞨の人々の渡来定着したところ故の共通したずうずう弁が残されているのかも知れない。

桂華(けいか) 北米・ロッキー山脈原産のキク科の花

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