今週に入り釜石は日一日と気温が下がって来ており、週末には最高気温が-1度で最低気温が-8度と予想されている。雪の降る北海道では-10度以下になると犬の散歩の途中で手の感覚がなくなってきた。それに近い温度が予想されている。地表の温度が氷点下になると庭には霜柱が立つようになり、朝、庭を歩くと霜柱が足下で踏みつぶされる乾いた音が聞かれる。万葉集ではただの霜や露霜として詠われている歌がいくつかあるが霜柱もそれらの中に含まれていると思われる。特に霜柱が区別された言葉としては出てこない。しかし情景から恐らく霜柱ではないかと思われる歌がある。万葉集2692番の詠み人知らずの歌であるが、夕凝りの霜置きにけり朝戸出にいたくし踏みて人に知らゆな という歌がある。夕凝りは大辞林で見ると霜や雪が夕方になって凝り結ぶこととなっている。つまり、夕方凝結したと言うことだろう。朝戸出(あさとで)は朝、戸をあけて戸外へ出ることを言う。従って意味合いとしては 夕方霜が降りてしまった。朝、家を出て(帰って)行く時にその霜を踏んで人に知られないようにして下さいと言ったところだろうが、女の元にやって来た男が朝帰って行く時に他人に知られたくない気持ちを伝えたものだろう。ここではただの霜であるより霜柱である方がより足跡と足音が切実になって来るように思われる。よほど女性は自分のところへ男が通って来ることを知られたくなかったと思われる。密やかな恋というところか。霜は大気中の水分から生じ、霜柱は地中の水分から生じるので同じ霜の字が使われても実態は違いがある。しかし万葉の時代には霜と霜柱の区別はなかったのではないか。四国でも一冬の間に霜や霜柱を見ることがあった。それを考えると万葉の時代にも恐らく霜柱は見られたろうと思う。それにしてもその時代に霜や霜柱が生じるような朝はよほど寒かったろうと思う。暖房や衣類が今とは当然全く異なる訳であるから。前出の歌を詠まれて女の元を去って行く男の気持ちにその寒さがどう響いていたのだろう。

朝の我が家の庭の霜柱 庭の何カ所かで見られた

朝の我が家の庭の霜柱 庭の何カ所かで見られた