昨日は午後から一時青空が広がり風も途絶えて山の銀杏の鮮やかな黄色と空の青が目の覚めるような原色の美しさを見せてくれた。ただ気温は最高で10度で、最低は0度まで下がった。遠野方向の愛染山の周辺はすっかり雪を冠った。釜石には1300年代に釜石三館と呼ばれる館(たて)があったことは以前にも記した。市の中心を流れる甲子川に沿って東西に配置されている。東から狐崎館、八幡館、柏館となるがやはり以前に記したように八幡館、柏館の間の小川にも館跡が残っており、その時代や正確な規模は未調査のままだが高さから言うと柏館などよりもはるかに見通しの効く位置であったように思われる。さらに唐丹(とうに)地区には千葉館、伝城、迎館(むかえたて)が、橋野地区には橋野館が、鵜住居地区には古館(ふるだて)がそれぞれ設けられていた。鵜住居川北岸には平安時代の安倍氏の残党が立て篭り源義家と戦った安倍館もある。これらの館の大半は沿岸部北側に隣接する大槌町にあった大槌城の出先として機能した。江戸時代末までは釜石ではなく大槌が行政の中心地であった。大槌城は北の大槌川と南の小鎚川に挟まれた高さ130m前後の丘陵部に築城され、周囲には空堀や堀切が設けられていた。この城は14世紀前半に遠野横田城主阿曽沼朝綱の次男大槌次郎が居城として築いたとされている。大槌氏は北は現在の山田町豊間根(とよまね)から南は釜石市平田(へいた)までを支配した。しかしその後の歴史では大槌氏はことごとく遠野阿曽沼氏とは反目し合っているようだ。阿曽沼氏を滅ぼした遠野の南部利直により謀反の疑いで1616年自害に追い込まれた大槌孫八郎政貞を最後に大槌城は南部氏の手に落ちる。南部氏はしばらくは大槌城に城代を置いたがその後は城代を廃して1632年からは城山の麓に代官所を設けて維新まで維持された。現在釜石から大槌町に向かうとちょうど釜石市と大槌町の境にあたるところに古廟坂(ごびょうざか)トンネルがあるがこれは元は御廟坂と言われ、1437年南部守行が主家に背いた大槌孫三郎を討つ途中、 流れ矢に当って没した場所であるところから名付けられたそうだ。

大畑ノ滝とも呼ばれる不動滝 落差は10m
釜石市大畑にある不動明王のそばで楢の木平から下って甲子川に流れる支流にある

大畑ノ滝とも呼ばれる不動滝 落差は10m
釜石市大畑にある不動明王のそばで楢の木平から下って甲子川に流れる支流にある