江戸時代後期に根岸鎮衛(やすもり)という名南町奉行がいた。安生定洪という下級旗本の三男として生まれ、後に養子として根岸家の家督を継ぐ。家督相続後才覚を現し、47歳で佐渡奉行に任ぜられ、第8代将軍・徳川吉宗の孫に当たり、陸奥国白河藩第3代藩主であり老中首座となっていた松平定信に認められ、勘定奉行に取り立てられる。さらに61歳から18年間南町奉行を勤めた。名奉行と言われた大岡忠相や遠山景元ほどは知られていないがなかなか思慮のある裁断を行ったようだ。この根岸鎮衛は佐渡奉行在任中の48歳ぐらいから30年以上に亘り、同僚や古老から聞き取った珍談・奇談・艶笑譚、英雄・豪傑の逸話、教訓話など多岐に渡る話を記録した。一つ一つの耳で聴いた話を紙に書き取り、それを袋に納めておいた。中には将軍家の話などもあるため門外不出とされていた。これが「耳袋」と名付けられた。各巻100話で10巻ある。つまり全巻で1000話もある。まだ読み初めであるが中に読んでいてこれは現代でも通用する話だと思ったものがある。 安永九年(1789年)若い武士が従僕二人を連れて浅草あたりを歩いていると目の不自由な男と出会い、男が懐から手紙を一通取り出し、その若い武士に近づいて丁寧に声を掛けた。「田舎から書状が届いたのですが、目が不自由なため読むことができません。どうか読んでいただけないでしょうか」と言う。従僕は相手にしようとせず追い払おうとしたが、若い武士はこの男を哀れんで手紙を受け取り封を切って読み上げた。「金を送れとのことであるが、こちらも手持ちがあまりない。とりあえず二百疋を同封する」とある。それを聞いた男は「ああ、助かった。困っていたところだから、それだけでもありがたい」と言って、若い武士に向かってその金を渡してくれと言う。若い武士は驚いて「手紙には確かに金を同封するとあったが、そんなものは入っていなかった。別便で送ったのではないのか?」と言うと、男は「目が不自由だと思って、金を掠め取るおつもりか」と言って若い武士を責め立て、仕方なく若い武士はその男を屋敷まで連れて行き、その金を渡した。じつに悪賢い男ではあるが、このような詐欺があるので年の若い者は気を付けるべきである。と根岸鎮衛が述べている。現代にある高齢者を狙った振り込め詐欺と共通するもののように思う。相手の正直な善意に上手く付け込む詐欺手法はすでに江戸時代にもあったようだ。

近所の公園の灯台躑躅(どうだんつつじ) 真っ赤に輝いていた