我が家の庭にある三本のもみじの木の1本は一昨日までの雨と風で7割がた葉が赤くならないうちに落ちてしまった。ネットの情報では一関の毛越寺や中尊寺の紅葉が見頃となっていたのでよほど行こうかと迷ったが庭のもみじの様子を見てやめにした。今年の岩手の紅葉を見るのは終わりだろう。残っていてもそれはもうベストの状態ではないだろう。昨日は結局残りのDVDを見たり、手紙を書いたり、書類の送付を行ったりで一日を過ごした。かなり前からだが日本の文化は政治や経済同様米国一辺倒になっている。若い頃はビートルズ世代なのだがその頃は米国だけでなく欧州各国の音楽もたくさん入ってきていた。映画も仏蘭西や伊太利亜、ポーランドなどのいい映画があった。かっての日本自体が鎖国から解放された時先進国が欧州だったこともあって英仏独など多様な国の制度や文化を取り入れた。確かに戦後の世界的リーダーは米国ではあったがあまりに日本はその米国に傾き過ぎて来た。政治や経済だけならいざ知らず、映画や音楽まで欧州からのものが極めて少なくなった。欧州では映画や音楽が無くなったわけではない。むしろ東西冷戦が終結し、自由に欧州全域の文化に触れる基盤はあるはずなのだ。太平洋戦争当時ですら侵略が目的であったとは言え、今よりずっとアジアの文化が入っていた。政治や経済と異なり文化は多様性が失われると低迷状態に陥る。新自由主義はマスコミ業界をも席巻し、利益最優先の経営にとって代わられ、TVも新聞も極めて粗悪になってしまった。TVではかえってそのためNHKの番組の方に見るべきものが浮上して来たように思える。先日四国へ行った際に若者たちが使う言葉に若者の間だけで通じる略語があることを知らされた。例えばコンカツなどという言葉を知ったが、聞いてみると何のことはない結婚の相手を見つける活動ということのようだ。最初にこうして簡略化して使った人がいたのだろうがこれなども知恵も、面白味もなさ過ぎる分いずれ忘れられて行く流行語なのだろう。文化には必ず人間の知恵が刻まれている。米国の文化も好きなものがむろんあるが米国の文化の中には欧州に比べこの人の知恵に欠けるところがある。多様な知恵の表現が文化をつくりだして行く。日本にいる若い世代が限られた米国や韓国以外の文化に触れられないというのは日本の未来にとって損失だと思う。

庭の散り残ったもみじ 日射しを受けて黄金と紅色に輝いていた

庭の散り残ったもみじ 日射しを受けて黄金と紅色に輝いていた