青森県青森市にある三内丸山遺跡はそれまでの縄文文化の定説を大きく覆した。それまでは縄文時代は小集団が狩猟生活を中心としていて定住することはなかったと見られていた。紀元前3,500年から紀元前2,000年頃まで1,000以上も連続して定住していることが明らかにされた。約780棟の竪穴住居跡、10数棟の大型竪穴住居跡、100棟を超える掘立柱建物跡などの存在はこれらの集団を統率する者が存在したことをも示している。紀元前3,500年頃の縄文前期とされる泥炭層からは最古と思われる数々の木製漆器が出土しており、ヒョウタンや栗を始めとする植物の管理栽培の可能性が高い。約1400個という国内最多、国内最大級の板状土偶のかけらが出土されたことから祭祀の大センターでもあったと考えられている。柱穴の間隔、幅、深さが統一され、計算されて建てられた六本柱の3階建て大櫓は現在の技術で復元されて三内丸山遺跡のシンボルとなっている。和田家文書には「宇宙より落下さる流星石をイシカ神、山に木の石となるヽをホノリ神、海や川に魚貝の石となれるをガコ神とせるは、古来よりの神像たり。此の神像たるは柱六本の三階高楼を築き、地階に水神、二階に地神、三階に天神を祀りて祭事せり。是の高楼は大王オテナの住むる處に築きたるは古きハララヤ跡に遺りけり。」とある。荒覇吐神を祀った高楼である。仮に三内丸山遺跡に見られる六本柱の3階建て大櫓がこの遺跡の最後の時期に建てられたものとしても紀元前2,000年頃には荒覇吐神が祀られていたと言うことになる。となると、カルデア人の渡来によりもたらされた荒覇吐神であるから、カルデア人たちの渡来は先日記した紀元前500年頃ではなく紀元前2,000年頃までに渡来したと言うことになる。これはちょうど和田家文書に再三登場する「カルデア人のグデア王」の頃ー紀元前2,100年頃に近く史実と一致する可能性が高いのではないかと思われる。そして安日彦(あびひこ)・長髄彦(ながすねひこ)兄弟が打ち立てた荒覇吐王国もこの頃と言うことになり、従って兄弟の東日流=津軽への到来も同じくこの頃にあったと考えられる。二人の津軽への到来がこの時期と言うことになるとやはり二人が耶麻堆を追われたのは和田家文書で秋田孝季が言う神武ではなく、古田武彦氏が言われるようにニニギである可能性がさらに強くなる。ただ教科書的には「カルデア人」は紀元前500年頃の新バビロニア王国の建国者として登場しているが。