自粛警察、マスク警察、不倫タレント叩き、上級国民?叩き…。
昨今、行き過ぎた正義漢が増えているように思う。
これらの現象について考えてみた。
■人は正義の仮面をかぶると人は凶暴化する?
1971年、アメリカ・スタンフォード大学心理学部で、有名な「スタンフォード監獄実験」が行われた。
学生たちを看守役と受刑者役に分け、刑務所のセットやシチュエーションなども整え、リアルに演じてもらった。
そうしたら次第に看守役は理性の歯止めが効かなくなり、受刑者役をいたぶるようになったと言う。
要するに、人は「正義」の役割を得ると「悪」に対して過激ないたぶりをするってことだ。
うーん、なんか分かるような気がする。
「自粛警察」「マスク警察」「不倫タレント叩き」もこれと同じ構図だと思う。
ちなみに「スタンフォード監獄実験」だけど、その後の再現実験では異なる結果が出ており、はっきりした結論には至っていない。
■上級国民なんているのか?
飯塚幸三氏が起こした「池袋暴走事件」の際、ネット民は「上級国民」という言説を流布した。
彼らの主張は「上級国民は逮捕されない、そんなの許せない!」ってことだろう。
うーん、これも「正義漢」だよね。
でも、彼らがもし「あいつは間違いなく犯罪者だ、なのになぜ逮捕しない!」って思い込んでいるなら、それは間違いである。
「被疑者=逮捕」じゃない。
どんなに有罪っぽくても、刑が確定するまでは被疑者(犯罪の疑いを受けまだ起訴されていない者)でしかないので、簡単に逮捕なんかできない。
法律上、被疑者に逃亡や隠ぺいの可能性がなければ、逮捕してはいけないことになっているんだよね。(刑事訴訟規則143条の3)
「そんなの建前だ!」
「俺が同じことをしたら、きっと逮捕される!」
って反論もあるだろうけど、私が警官だったとしても、やっぱり飯塚氏を逮捕しないかな。
どこの誰兵衛か明確で、証拠隠滅の可能性も無い人を、軽はずみに逮捕したら刑事訴訟規則143条の3に反する恐れがある。
しかも、その人が高齢で健康状態に心配のあって、勾留に耐えられない可能性のあったら、周りから何を言われるか分からないよね。
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どうやら、私は「正義漢」が嫌いなようだ。
このあと説明するけど、私は道徳基盤理論で言うところの自由を大切にするタイプだから、特にそう思うのだろうか?
もちろん、正義感がまったくないより、ある方が良いのは間違いない。
でも、「自粛警察」みたいになると、それは理性を欠いた感情の暴走でしかないと思う。
これについて、様々な識者の仮説を挙げてみた。
■本能仮説
田沼茂紀(道徳教育学)は、「自粛警察」が生まれる背景として、人間が他の動物と同じように持つ自然な衝動としての「他人を攻撃する生理的なメカニズム」を挙げている。
コロナ禍など想定外の異常事態下ではふだんは封印されている人間の本来的な攻撃性が刺激され露呈しやすくなると分析している。
■セロトニン仮説
経済産業研究所の藤和彦氏は、義憤に駆られた行動は、体中で合成されるセロトニンが関係していると説いている。
日本人の大脳セロトニン分泌量は、世界でも最小の部類に入るらしいけど、大脳のセロトニン量が少ないほど利他的行為を行う半面、理不尽な行為に対する許容度が低くなる傾向があるそうだ。
藤氏はこうした点から「自粛警察」は、日本人の負の側面かもしれない、と述べている。
■ドーパミン仮説
『同調圧力 日本社会はなぜ息苦しいのか (講談社現代新書) 』の著者鴻上尚史氏は、ドーパミンと自粛警察の関係を説いている。
私たちが抱く感情、特に「不安」という感情は、特定の行動をとることで解消されます。
自粛警察と呼ばれる現象も、不安解消のための行動と言えます。さらに他者を非難したりバッシングしたりすると、ドーパミンなどの快感ホルモンが出て、スッキリするのです。
■日本文化説
ネットニュース編集者の中川淳一郎氏は、日本には元々「五人組」などの相互監視体制があり、この伝統が「世間のルール」として今でも残っており、自粛警察につながっているのではないかと述べている。
日本には細々とした「世間のルール」というものがたくさんあり、皆が守らなくてはいけないと思っています。
日本人は、法律学で最も大事な権利も人権も信じていません。つまり法律を信じていない。
では、何を信じているのかというと、世間のルールを信じているのです。
■集団心理説
社会学者の宮台真司は「自粛警察」の心理について次のように語っている。
非常時に周りと同じ行動を取って安心したい人々だ。いじめと同じで自分と違う行動を取る人に嫉妬心を覚え、不安を解消するために攻撃する。
その上で「人にはそれぞれ事情があり、非常時の最適な行動も人によって違うことを理解しなければならない」と呼び掛けている。
■道徳基盤理論
アメリカの社会心理学者ジョナサン・ハイト(Jonathan Haidt、1963年 - )は、感情は、直感的に抱く価値観(道徳観)によって影響されており、その道徳観には6つのタイプがあると説いている。
私なりにこの6つの道徳観を説明するなら次のとおりだ。
- 「弱者への配慮」を大切にするタイプ
例:コロナで苦しんでいる人のことを考えろ! - 「公平さ」を大切にするタイプ
例:特別扱いされる上級国民がいるのは許せない。 - 「忠誠心」を大切にするタイプ
例:国家が非常事態宣言しているのに、マスクもしないで、なんて不謹慎な奴だ。 - 「権威に対する尊重」を大切にするタイプ
例:尊敬する〇〇先生は、「マスクなんてしなくて良い」って言った。だから俺はマスクをしない。 - 「品位」を大切にするタイプ
例:不倫?ああ、汚らわしい・・・。 - 「自由」を大切にするタイプ
例:コロナ対策より、一人一人の自由の方が大切だ。
■じゃあどうしたらいいのか?
上記に挙げた正義漢が現れる理由を分類すれば次のとおりだ。
①人間そのものが正義漢になりやすい。(本能説、ドーパミン説)
②日本人そのものが正義漢になりやすい。(セロトニン説)
③日本の文化が正義漢を生みやすい。(日本文化説)
④正義漢は心理現象である。(集団心理説、道徳基盤理論)
この中で、どれが正しいとか、間違っているとかはさておき、①~③は生得的な話なのに対し、④だけは自分で制御できる可能性がある点に着目したい。
特に道徳基盤理論は、道徳観も「その人らしさ」という観点であり、より汎用的だと思う。
これを踏まえると「正義漢」はちっとも悪くない、が結論となる。
過激な行動も含めて「その人らしさ」なのである。
好き嫌いはさておいて、その人の道徳観を尊重するのは、この複雑な社会に生きる者の努めだと思った。