「責任」という言葉、うかつに使うものではない。責任とは、信頼関係のある人に対してのみ有効な言葉だってことを覚えておいた方が良い。

 

「責任」って言葉、普通に我々も使っているけど、あえて聞かれるとよく分からない言葉だよね。

 

辞書的には、次の意味である。

1 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての責任がある」「責任を果たす」
2 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の責任をとる」「責任転嫁」
3 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

うーん、これを読んで「分かった!」なんて言える人が果たしてどれだけいるのだろうか?

 

確かに、3の法律を守る責任については、「まあ、そうだよね」と理解できる。

 

でも、1と2は、単なる「配慮義務」ってこと?

 

役割や地位に応じて、誰かに配慮しろってことかな。

 

この理屈でいけば、総理大臣の場合、全国民に配慮しなきゃならなくなる。

 

それが総理大臣の務めだと言われれば、そんな気もしてくるけど、ちょっと待った。

 

全国民に配慮するなんて可能なのだろうか?

 

例えば、コロナ禍の中、最初にうちは「病院には配慮するけど、飲食店には配慮しない」みたいな感じがあったので、すぐに「飲食店にも配慮します」と言い出したら、今度は休業補償はどうするって話になった。

 

そうしたら多くの国民は「そうだそうだ、金を寄こせ」と言い出した。

 

でも、この金って税金だよね。

 

国民の負担を国民に与えているだけだから、最終的に誰に対する何の配慮だったのかよく分からないことになっている。

 

しいて言えば、「声のでかい人に配慮した」ってことかな。

 

まあ、そうかもしれない。

 

政治責任とは「声のでかい人に対する配慮」、そう考えれば合点がいく。

 

実際にそうなっているように見える。

 

・・・

 

と、冗談はここまでとして、ここからは真面目な話に切り替える。

 

責任は英語でレスポンシビリティー(responsibility)という。

 

語源は「応答(response)に対する技量(ability)」なんだけど、ここから責任というものについて考えてみたい。

 

応答に対する技量とは次のような意味だと考える。

 

人は必ず生きていれば何かをする。

 

集団で生きているならば、必ず社会的な行動をする。

 

その際、相手からなぜそれをしたのか聞かれたら「答えないとならない」って気持ちが湧く。

 

これが応答に対する技量、すなわち「責任」ということなのだろう。

 

もちろん、人から問われても「答えなくても良い」って選択もある。

 

でも、人と人との間柄を真面目に生きているのなら、理由を聞かれて答えないって、人間としてどうなのだろう。

 

こういうのを心理的負債感とか負債感情って言うらしいけど、人にはそういう精神構造があるようだ。

 

つまり、責任とは、信頼関係から来る心理的な負債感なのである。

 

責任=信頼関係+心理的負債感

 

こう整理すると、よく会社の社長とかが言う「責任を取って辞める」の意味も見えてくる。

 

消費者から信頼されていた会社なのに、その信頼感を裏切り不祥事を起こしてしまった。

だから私は心理的負債感を持っている。

この心理的負債感を元に戻すには辞めるしかない。

よって辞めます。

という意味だろう。

 

聞きようによってはすごく無責任な理屈にも聞こえるよね。

 

信頼関係の無い人がこれを言ったら、みんな「はあ?何寝ぼけたこと言ってんの?辞めずにどうにかしろ!」ってなるよね。

 

そうなんだよね。

 

同じ状況で、同じ言葉を使っても、信頼のある無しで、「責任」にもなるし「無責任」にもなる。

 

これが責任という言葉の難しいところだ。

 

そんなこんなを考えると、責任という言葉は、うかつに使えないな、と思った。