良い組織には「褒める」文化があると良く聞く。

 

確かに、何年たっても自分の支えになっている「何気ない褒め言葉」は私にもある。

 

 

でも、アドラー心理学では「褒めてはいけない」と言っている。

 

これも分かる。

 

私の周りにも、気持ち悪いくらいに褒めまくる人がいるけど、はっきり言って胡散臭い。

 

さて、「褒める」とは何なのだろう。

 

そして、どういう褒め言葉がよくて、どういう褒め言葉がまずいのかはっきりさせたい。

 

■アドラー心理学による解釈

 

アドラー心理学では「褒めてはいけない」となっている。

 

でも、これについて、「嫌われる勇気」で有名な岸見先生は、次のように語っている。

 

「『すごいね』は、ほめ言葉だから使ってはいけない」というふうに、しゃくし定規に覚えないことが大事です。

 

なるほど、必ずしも「褒めちゃいけない」ってわけじゃないんだね。

 

じゃあ、どういう褒め言葉がダメなのかと言ったら次の2つがあるようだ。

 

 「下心があれば、ほめ言葉かもしれないけれど、『初めて立ち上がった』という喜びを子どもと共有する言葉であれば、それは、ほめ言葉にはならない」

「操作したい気持ち」があると、ろくなことはない

なるほど。

 

つまり、下心なく、具体的な行動に対して、本心から褒めるのであればOKということだ。

 

言うなれば「ポジティブなフィードバック」である。

 

■「褒める」は「挨拶」の強化バージョン

 

とりあえず「褒める」が「ポジティブなフィードバック」だとして、なぜそれが必要なのかが気になる。

 

別にそんな面倒くさいことしなくたっていいじゃん、と思うけど、なぜ人は「褒めた方が良い」って言うのだろうか。

 

これについては、自分なりに答えを持っている。

 

「自分の存在を認めてもらうこと、相手の存在を認めること」。

 

これが「褒める」の意味だと思っている。

 

要するに「挨拶」と同じってことだ。

 

挨拶の原理について、ピーター・センゲは著書「学習する組織」で、サハラ砂漠周辺に住むウブントゥの挨拶を紹介している。

 

相手の存在に気づいた方が、 「サウボナ」=「私にはあなたが見えます」と相手に挨拶を投げかけ、投げかけられた相手が 「シコナ」=「私はここにいます」と挨拶を返す。


うーん、じっくり考えたい話だ。

 

ピーターセンゲの解説では、「あなたが私を見るまでは、私は存在していない。あなたが私を見るときに、初めて私が存在し始める。人間は、他の人々がいるおかげで人間になる」としている。

確かに人のアイデンティティーは相手が向ける眼差しによって形作られるところがある。

 

それが「挨拶」であり、「褒める」ということなのだろう。

 

■「褒める」ことで人間関係は強化される

 

確かに自分を振り返ってみても、相手から存在を認めてもらえるだけで「嬉しい」という気分になる。

 

「人間にとって無視されることほど怖いものは無い」って話を聞いたことがあるけど、これをひっくり返せば「存在を認めれてもらえると嬉しい」というのは分かりやすい話だ。

 

なぜ嬉しいかって?

 

ま、本能みたいなものかな。

 

でも、「本能のようなものだ」だと言って話を終わりにせず、「なぜ嬉しいのか」の正体をもうちょっと深堀してみると、次の3つがあるように思う。

 

  1. 褒められると「ここに居ていいんだ」と居場所感や仲間意識が湧く。
  2. 褒められると「今の自分でいいんだ」と自己肯定感が増す。
  3. 褒められると「自分にもこんな影響力があるんだ」と自己効力感が高まる。

 

とくに自分でも気づいていない「強み」や「特徴」が伝えられると上記が強く現れると思う。

 

これがポジティブなフィードバックの効果だ。

 

確かに、上っ面な「褒め言葉」は、「私はあなたを真剣に見ていません」というメッセージにしか聞こえない。

下手したら「なぜこの人はこんなおべんちゃらを言うのだろう」と下心を感じることすらある。

 

要するにマイナス効果。

アドラー心理学のいさめる「褒めてはいけない」のとおりだ。

 

このように「褒める」は、単なる「挨拶」とちがい、次のことを気を付ける必要がある。

  1. 相手をしっかり観察した上で褒める。
  2. ポジティブな感情が湧いた時だけ褒める。
  3. 逆にネガティブな気持ちで褒めることをしてはならない。

■内発的動機を高める褒め方

 

心理学的な褒め方は上記のとおりだろうけど、少し疑問がある。

 

「いつも褒めていたら、効果が薄まるのではないか?」

 

確かに、しっかり相手を観察し、ポジティブな感情が湧いた時だけ褒めれば、「いつも」という訳じゃないのでこの心配はいらないのかもしれない。

 

でも、その境界がぼんやりしている。

 

動機付け理論で有名なエドワード・デシの著書『人を伸ばす力』には、次のような研究が紹介されている。

 

マーク・レッパーとデイヴィッド・グリーン、リチャード・ニスベットの三人は、自由遊びの時間に絵を描いている幼稚園児を三つのグループに分け、実験を行った。


まず「よくできました」と書かれたリボンのついた賞状を用意する。

 

Aグループには事前に賞状を見せ、この賞状がほしいかと尋ねた。

 

Bグループには、事前に賞状を用意していることを伝えず、絵を描き終えてから賞状を渡した。

 

Cグループには、賞状があることを伝えず、渡すこともしなかった。

二週間後、幼稚園児たちに同じように絵を描かせてみた。

 

すると、BとCのグループは一生懸命に絵を描いたが、Aグループは絵を描くことに興味を失い、描く時間も大幅に少なくなってしまった。

 

この研究結果を踏まえると、「褒める」が「ご褒美」になってはいけないことが分かる。

 

褒めるけどご褒美ではない…、うーん、難しいね。

 

いや、難しいと言うより、そもそも「褒める」という言葉に「ご褒美」の意味が含まれているから、「褒める」という言葉を使うこと自体矛盾がありそうだ。

 

式にすればこうだ。

 

「褒める」=「ご褒美」+「ポジティブなフィードバック」

 

大切なことは「ポジティブなフィードバック」であって「ご褒美」だったらしない方がマシなんだね。

 

アドラー心理学は「褒めてはいけない」は、この「ご褒美」の意味だってことが解ってきた。

 

褒めるよりポジティブなフィードバックをしよう、が今回の結論である。