『愛の不時着』~南と北の間~ | 一松亭のブログ

一松亭のブログ

労働問題、社会問題、心に残る映画について書いています。

書こう書こうと思っていて、体調不良や母の一周忌等で、思いのほか書けないまま来てしましましたが、いまさらながら『愛の不時着』です。
皆さんNetflixで配信されている『愛の不時着』はもうご覧になったと思います。
財閥の令嬢が、乱気流に巻き込まれ38度線の向こう側に着地、人民軍将校、兵士や北の住民達との様々な交流を経て、南へ帰るも様々な危機が・・・、そこに財閥の後継者問題もからみ・・・と盛りだくさんの内容、本当に楽しめます。
まず冒頭から目を引かれるとは、颯爽と歩く時のソン・イェジンさんが格好いい。
一点の曇りも無い財閥令嬢、と思いきや心には暗い影が・・・、ヒョンビンさんのジュンヒョク、理想的な人民軍軍人、と思いきや、彼も体制の中で葛藤を抱えている。令嬢セリと将校ジュンヒョクは実は運命の出会い、様々な伏線がからまってストーリーの中で、一人一人が真実の愛を見つける、というお話です。

 



人民軍の軍人さんたち、村の人たち、それぞれ雰囲気が良く出ていますね。
実際の脱北した方(出演もしてます)のアドバイスが効果的に生きています。

 



セリの家族、サムスンを意識しているのでしょうか。雰囲気良く似てると思いますがご判断は皆さんにお任せします。財閥の中は家族でも心を許せない、セリの孤独感がよくわかります。左(上?)がサムスンの方、右(下)がドラマです。


財閥令嬢であったセリがジョンヒョクとの運命の出会いで、真の愛に目覚め強くなっていく、後半の颯爽とした姿、特に不良たちを従え出

入りに向かう姿はほれぼれとします。
セリとジョンヒョク、お互いが自らを犠牲に相手を守ろうとするする姿から目が離せずハラハラさせます。
この作品、登場人物一人一人がとても魅力的です。
また「共和国」との距離をドラマ中で一気に縮めたことが特筆すべきことでしょう。
「共和国」と書きましたが、総連系の人は「北朝鮮」でなく「共和国」と言っていますから、私も彼らと話すときはそう言っています。「朝鮮民主主義人民共和国」だから「共和国」。皆さんは「共和国」では何のことかわからないでしょうが、本当は「北朝鮮」では国名でなく特定の地方になってしまいます。

ところで、今までの映画で「北」と「南」の距離を見てみましょう。
『シュリ』や『JSA』では、最後やはり銃を向けあう形になってしまいます。『JSA』は「南の友」を守るためにとった行動は北の同胞に銃を向けることでした。最後やはり越えられない壁が立ちふさがるなかで悲しい形で友を守ります。



「トンマッコルへようこそ」では、当初は敵対しても最後に大切に思う村人たちをUN(ユーエン)軍(国連軍のこと)の爆撃から守るために、北の兵士と南の兵士はともに自らを犠牲にして爆撃を引き付け村人を爆撃からまもろうとします。
そのとき最後に南の兵士が言った言葉には驚かされました。「俺たち連合軍ってことだな。」(えっ?なんだって?)

一つの目的、大切な村人を守るために北の兵士と南の兵士が同じ敵(UN軍)の楯になるのです。



 

「工作」では、北の指導者(総書記)の絶大な権力を描くのに恐怖でなく威厳を持って描くことを選択しています。また北の担当者と南の

工作員は体制を越えた信頼と絆を最後に魅せてくれます。
そして「愛の不時着」、「北」の兵士を魅力的な人間に描いただけでなく、コンピューターゲームやファッション等南の文化に魅了(?)(篭絡でしょうか…)される姿、(自動販売機のシーンなどは上から目線が見えますが…)等々、一気に距離を縮めてくれます。

とどめは居酒屋でのサッカーの韓国チームの応援で「テーハンミングック!!」ああ、もう信じられない!!

 


こうして映画、ドラマの世界で「北」と「南」の距離が一気に縮まり、38度線を越えてさえいるのは嬉しくもありますが、現実の政治は…、う~んです。「愛の不時着」が、21世紀の童話にならないことを心より祈っています。