先ほど、ある方と話していて盛り上がったのはあだ名についてでした。
世代的には同じなので、
少年期に流行ったスポーツ選手のニックネームを話題にして盛り上がったのです。
例えば、「人間山脈」や「人間発電所」とか、
華やかなりし時代のプロレスラーのニックネームをリングアナが絶叫していたのを、
互いに、懐かしく思い出したわけです。
今から考えてもそれらのネーミングはなかなか素晴らしいと、改めて思った次第です。
では、私自身は今までどう呼ばれてきたのか、そんなことを考えました。
今は、「先生」と呼ばれることがたまにある職業に就いていますが、
かつては、役職名だけの時代もありました。
それ以前は「さん」付けが多く、親しい仲間では「名の呼び捨て」もありました。
新米時代は、「君」付けで、それはなかなか卒業できなかったような気がしています。
一時的に「ちゃん」付けされていた時代もありました。
これは、
何となく半人前扱いされているように感じられ、内心不快な呼ばれ方でした。
プライベートでは、目下の人からは「さん」、目上の一部の友人は「名の呼び捨て」、
家族や親族では、「お兄さん」、あるいは「名に君付け」です。
あだ名(ニックネーム)は、最近は全くなくなってしまいました。
昔は、結構ひどいあだ名もつけられたものです。
ただ、ニックネームも含め、悪意がこもっていないのであれば
いろんな呼ばれ方をされること自体、それほど悪いことではないような気がします。
ところで、「先生」についてですが、
以前の職場で、顧問弁護士が他の弁護士と会話する際、
互いを「先生」と呼び合っているのを見て、
特別な世界にいる人たち、という感じが強くしました。
実際、彼らと自分たちとの間には、ずいぶん大きな溝があるように思えたものです。
だからでしょうか、
自分が開業して以降、同僚たちとの会話で「先生」と言い合うのが普通になっても、
どうも居心地が悪い。
そういえば、
私が奉職していた自治体では、議員を「先生」と呼ぶのが禁止になったのです。
同じ自治体の職員であり、
議員に対し変に遜(へりくだ)るのは、かえっておかしな関係を生む恐れがある、
そんな配慮からだったからだと思われます。
教育委員会にいた教員(指導主事)も周囲からは「先生」と呼ばれていましたが、
一般職の委員会職員より、少し上に見られていたように思います。
それだけでなく、彼らと一般職員との意識の差が相当あったのも事実で、
私は、あまりお付き合いしたくない人が多かった気がしています。
そんな記憶が影響してか、
一般論としても「先生」のイメージは、よろしくない。
さらに、政治家や教員及び法律専門職等の不祥事を見聞きするにつけ、
その本来清潔なイメージであるべき呼称が汚れていくように思えます。
ただ、先日会った高校時代の恩師は、
まさしく今でも、私たちの「先生」であったのは、とてもうれしく思えました。
「先生」の価値は、ぎりぎり残っているように思えて、少しほっとしました。