ダイニッポンが造ったコーズウェイ《キリバス旅行記⑦》 | すべての国がオモシロイ!岐阜からアフリカ好き的世界旅~現在169か国

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海外を旅すると、
不思議なハプニングとシンクロがいろいろ起こります
岐阜での日常でもそう、
今起こっている事は、偶然ではなく必然・・・
これまで169か国旅してきました
過去、そしてこれから遭遇するエピソード
気がむいたら記していきます…!

バイリキ島を過ぎ、
予約したホテルがある
ベシオ島はもうすぐそこ。

ベシオ島は、橋で繋がった細長~い
タラワの中でも一番西の端っこに
位置するのだが、
このバイリキ島とベシオ島を繋ぐ橋が
凄かった!
「コーズウェイ」と呼ばれるこの橋、
幅11メートルでもちろん両側は海、
そして全長は
なんと3.4キロメートルもある。

1987年に完成したが、
それまで人々は
干潮時に現れる砂の道を歩いたり
ボートを使ったりして
往き来や物資の輸送をしていた。

このコーズウェイ、今では
タラワの人々にとっては
欠かせない存在となっているが、
実は日本が建設した橋なのだ!
コーズウェイは
大変な難工事だったそうだ。

もともとキリバスは
オーストラリアに
橋の建設を依頼したが、
工事半ばで潮に流されてしまい、
オーストラリアは建設を断念して
しまった。

続いてニュージーランドに依頼したが、
また建設中の橋は流されてしまう…

とにかく波が荒く、
高潮もひどい場所なのだ。
そして、キリバスは日本に橋の建設を
依頼することになる。

はじめ工事は順調に進み…

しかしやはりある日、突然橋が
流されてしまった…

しかし、日本人は
ここで投げ出さなかった。

振り出しから工事を再スタート、
納期に間に合わせようと
潮の干満を見極めながら
24時間体制で工事を進め、
なんと納期に間に合わせてしまった!

そんな凄い伝説が残っている
橋なのであります。


現地の人とコーズウェイの話をすると
「ダイニッポン、ダイニッポン」と
言ってくるので、
「大日本」は戦争前の日本の呼び方で
今は「日本」だよなんて説明してたけど、
その後、
実は彼らのいう「ダイニッポン」とは
大日本帝国でないことが判明……

この橋の建設を手掛けた企業の名前が
大日本土木(だいにっぽんどぼく)、
その「ダイニッポン」のことで、
現地人でこの名前を知らない人は
いないそう。

ちなみに大日本土木は
ボクの地元、岐阜の企業。

そいうえば、昔、大日本土木が
キリバスで橋の建設に関わったとの
新聞記事を
何故か自分がスクラップしてたのを
思い出した……

コーズウェイの近くには
「ダイニッポン」という名の小学校も
あるそうだ。

そんな凄い橋も、老朽化が進み、
高潮による侵食や、おととしには
一部崩落も起きてしまった。

現在、改修や強化の準備が
再び日本のODA で進められている。

そんな感慨深い橋を過ぎると、
ようやくベシオ島だ。


ちなみに、初日は土砂降りの中の
ドライブだったので、
翌日もう一度ドライブしてみたけど
んー……今度は微妙に曇り……
真っ青な快晴の中で、
コーズウェイを走り抜けて
写真撮ってみたいなぁ。。
でも今回の旅では結局かなわず。

今回のキリバス、
晴れと曇りと雨のサイクルが激しくて
ちょうどコーズウェイ通る時は
タイミングが良くなかったんで……

それにしてもコーズウェイ、
日本人として、岐阜人として、
嬉しく誇らしい存在だ!