今年は休んで5(福利厚生)の年!ということで失効ぎりぎりの3月にスイスはローザンヌに住むいとこのグロ(本名グローリア)とグロの彼のギーちゃん(本名ギョンム)宅におじゃましてきました。この旅のために念願のコンデジ を購入したので写真撮るのが楽しかったーーハート全写真はflickrFlickr にあるよ。

・(左)1日目
優々自適
夜着いたのでおとなしく家で夜ごはん。さっそくチーズの山。スタンダードにチーズ、パン、オリーブ、レバーパテ、スープなスイスごはん。

・(左)2日目
優々自適

いとこ(姉)のオーロラとドイツ語圏のバゼルに。

優々自適
街の至るところに大聖堂が。

優々自適
日本人友達のみおちゃんと夜ご飯の待ち合わせまで時間があったのでかわいいカフェに。

優々自適
名物ロシティ。すごいボリュームで次の日の昼までおなかいっぱいでした。

・(左)3日目
優々自適
この日はいとこもギーちゃんも仕事だったので一日フリー。ローザンヌの街をふらふらしました。

優々自適
大好きpromod。なぜか日本にないのでスイスの恒例ショッピングとなっている。

優々自適
スイスと言えばチーズかチョコチョコお土産もこの日に買ったよ。

優々自適
夕方時間を余したのでMetroで4駅のレ・マン湖へ。

優々自適
湖にうっすら霧がかかってて神秘的でした。

優々自適
夕日と湖の織り成す絶景。空気もおいしくてしばらく座ってました。

優々自適
夜はみんなと合流しご当地チーズフォンデュチーズd.heart*

・(左)4日目
優々自適
土曜日だったので1日付き合ってもらい首都バゼルへ。カーニバルやってました。
※スイスでもカーニバルの風習があるのはドイツ語圏だけだそうです(ローザンヌはフランス語圏)

優々自適
夜はこれまた私の希望でフォンデュシノワ。チャイニーズフォンデュというらしい。これも大好物。

優々自適
日本大好きモグラくん(本名:不明)は日本人が集うと日本語聞きたさにやってくる。
こちらの写真、大変お世話になりましたさようなら。という記念写真だったのですが。

・(左)5日目
朝からジュネーヴ空港へ行ったところ、東日本大震災(というより原発への不安視)の影響で日本行きのフライトが全便キャンセルになりましたと言われ。最速でも3日後のフライトしか空きがなく、とりあえずそれでチケットを取り直してもらいました。
余談ですが、こんな時にいとこに付いてきてもらってホント良かった・・と思いました。なんだかんだ自分も空港スタッフも第二外国語の英語より母国語であるフランス語の方がこういう異例の事態にはスムーズ。お互い焦ってるし。
日常会話レベルである自分の語学力の低さを痛感した瞬間でした。いとこは5ヶ国ぺらぺらなのにー。
関係各所への連絡などでこの日は1日家にいました。晴れて帰国難民と化した私はいったんスイスで仕事をさせてもらうことに。

・(左)6日目
優々自適
ということでこの日からカフェ生活。Bar Tabac へ。wifiもあるし電源も使えるしコーヒー1杯で一日中いれる、かわいいカフェを教えてもらいました。幸いMacも、技術書を入れたiPadも持ってきていたので仕事を進めるには充分な環境でした。(日本の情報をちょこちょこ見すぎて集中力に欠けてましたが;)

・(左)7日目
優々自適
Grancy通りにあるCafé de Grancy Sàrl 。朝から夜まで入り浸っておりました。ここもいとこのオススメ。

優々自適
ランチにはグロの友人のチャコちゃんが仕事の合間に来てくれました。スイスと日本のハーフで学科も一緒のグロと意気投合したとか。

・(左)8日目
そんなこんなで離陸予定日、経由地は増えたものの日本への便は飛んでいるとのことで帰国することになりました。いとこには泣いて引き止められましたが「いつかは帰らないといけないし、もうだいぶ落ち着いてると思う」と帰国を決断。
平日だというのにジュネーヴ空港まで送り届けてくれたいとこ二人は、空港で乾電池(大量)、チョコ(香港とかで止まっちゃった用)、懐中電灯などを買い込み、「重いからこれ以上は・・」と逃げる私をよそに全部機内手荷物に詰め込まれ、これから戦争に行く人のような気分でした。タメと3個上の姉妹ですが昔から親と離れて暮らしているためしっかりしてて、母が増えた気分でした。
今振り返るとそんなに?と思うところですが、それだけヨーロッパでの今の日本のイメージは凄まじいものだったと思います。日本にいる外国人へは帰国命令。日々流れる津波と原発のニュース。そりゃ確かに止められる理由もわかりますが。笑
それでも今後日本で生活しなきゃいけない私は状況の違う彼らと同じ考えじゃだめだと考え直し。家族も心配だけど、ここからじゃどうしようもなかったあたしは、とにかく莫大な情報をより分け、ピグと赤十字へ募金をし、パニくったメールが来る母を何とか落ち着かせる、という”今できること”を自分の中で考えたつもりでした。
心から心配してくれたいとこには本当に感謝してます。

ということで、毎朝(今日は日本で何があったんだろう)と起きるのが怖かったではありましたが、それなりにリフレッシュ&リラックスできた休暇でした。ローザンヌだいぶ慣れたので今度は誰か友達連れて行きたいと思います。

優々自適
ばいばいスイスでは。
【ご報告】系のタイトルにしてみようかと思いましたが誰得すぎてやめました。
突然ですが今年の9月より都内の大学院に通うことにしました。同じ局の方々やチームの方にはお伝えしましたが、又聞きで情報が伝わっていることと(退職するとか笑)隠してるわけでもないのでここらへんで詳細を綴らせていただこうと思います。長いです。

検索経緯について
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私の所属するエンジニアの部署は大多数が理系で院卒という環境です。少なくとも新卒では同期で言うと8割強、中には100%院卒の代もあります。私はというと正直学生時代に院へ進むなんて微塵も考えたことはありませんでした。単位は最小限の授業出席とレポートでとっとと3年間で取り終え、その空いた時間でPHPによるWebアプリ開発のアルバイトをするとともに語学力強化のためせっせと海外へ飛び立っておりました。内定者アルバイトも短い期間ですがしてましたし、年間飲みつぶれた日も最多でいわゆる大学生を満喫。しかしこれについては後悔してないし、入社後「あたしも大学院とか行っとけばよかったなー(モラトリアム的な意味で)」とは言うものの実際は「年上ばっかの中若いうちに社会に出れてラッキー」とか思っている浮かれポンチでした。
時は経ち、大規模サービスの右も左もわからなかった私も3年目を迎え、Amebaサービスもいくつか経験してプロジェクトを進められるようになりました。もちろん上を見ればまだまだまだまだ未熟ですが大規模Webアプリケーション開発にもだいぶ慣れてきました。3年目ともなると、同期でも各々の専門分野を極めそれとなくエンジニアとしてのキャリアパスも見えてくる頃。ここで各人の研究・専門分野を生かし、そのアイディアをサービスに取り入れられることは簡単に真似できない強みだなと感じるようになります。
・・とつらつら書きましたが実はこのへんは後付けであって、去年10月の研究レポート作成以降「ちゃんと研究してみたい、専門って言えるフィールドが欲しい」欲が湧いてきて勢いで受けた!というのが実のところです。
実際に受験するに至ったのは、私が「いーなー大学院行ってればよかったなー」とぶーぶー言っていたら「じゃあ受けてみればいいじゃん」と相方に言われ「はっ、そうかその手があったか!」といった流れであります。

検索大学院について
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2010年10月。思い立ったが吉日な自分は早速情報収集。当時「修士?なにそれおいしいの(^q^)」状態でしたが身の周りの院卒生に話を聞いたりネットや本から情報を得てそれとなくシステムを把握。しかし父を初めなぜか知り合いは見事に全員建築関連で「情報系はぜんぜん違うからよくわからない」とのことでしたのでとりあえず自力で鬼検索。

・社会人入学が可能
・都内で通勤しながら通える(サテライト含む)
・情報・IT(もっと狭い範囲に絞るべきだが検索時点ではこの粒度しかないので)

上記3つの条件で6校ほどに絞れました。そこから先はWebではわからないので資料請求や説明会、先生にコンタクトをとって話を聞くなど、とにかく手と足を動かしたのが10月11月。
(その頃やたら早く帰宅する、飲みや遊びに不参加など挙動不審な点が多々あったと思います…)

最初は手探り状態でしたがいろいろ見てるうちにだんだん自分の中でのさらに詳細な条件が見つかるようになりました。

1. 大学自体が社会人フレンドリかどうか
2. 研究内容がインターネットに関係しているかどうか


1の「大学自体が社会人フレンドリかどうか」について。
例えば教授がすごく寛容な方で社会人でも構わないと言ってくれたのに、大学のシステムでどうしても平日昼間の授業を取らないといけない。という大学がありました。
働きながら通学する場合、「受験するのは構わないけど入学後は特に社会人だろうと考慮しませんよー」という方針だとなんだかんだ厳しいと感じました。

2の「 研究内容がインターネットに関係しているかどうか」について。
まぁ最も重要なところなのですが。一口に情報系といっても組み込みやMOT(技術経営)などが多く、ピンポイントで”Web、ネット”のキーワードが絡むような研究室が意外となかったです。

あとは雰囲気とか。本拠地は地方だけど東京にサテライトがある、という便利な大学院もあったのですが、大学というよりビルの一角で年齢層も異様に高い、といったケースもありました。

2010年11月末。(そんなに簡単に見つかるわけないか…)と諦めかけていたところ、埼玉が本拠地なのでスルーしてた大学院がありました。が今一度詳細を見てみると研究室は都内にもあり、上記の条件を見事に満たしている。。気になったので教授にコンタクトをとってみたところ、ゼミを見に来てみてくださいとのこと。ゼミ見学や教授とのやりとりの中で、社会人でも理由とやる気があることを理解してもらい、「ここならがんばってでも通いたい!」と、すぐに気に入りました。長くなるので割愛しますが他にも怖いぐらい希望に合致してる点がありました。
が。問題なのがちょうどゼミを見学しに行った頃に願書締め切りと知って。うっわオワッタ\(^o^)/と落胆していたところ、何と教授から「1月に2次募集を行うことになりました。」との朗報が。
この流れは完全に受けるしかない、という直感に頼り1月末にある願書提出と試験に備えたのでした。

不運なことに12月1月は某ニュースサイトの完全リニューアルのため近年稀に見る余裕の無さでした。のでとにかく1月頭リリースに向けて年末年始返上でコミットし、その代休とリフレッシュ休暇を1月後半にいただくことで解決。この時期も不審な休み方をしてたのは実は受験のせいだったりします。笑

検索今後の業務について
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もちろん大学院へ通いながら働くので業務に支障をきたさないといったら嘘になります。学業との両立を考えるとこれまでのような24時間体制でAmebaサービスの品質を担保するという責務は果たせなくなります。そこでこの半期はプチ異動を願い出ていて、ある程度自分の時間を確保できる研究職寄りのチームに行きたいなと考えていました。
ところが入学が決まったことを上長に報告した際、次の自分の異動先も告げられたわけですが、そこは今もっとも勢いのある(どたばたとも言う)スマートフォンDivisionでした。(大学院の件は告げていなかったのでしょうがないのですが)スマートフォン…もちろん興味はありましたが今後プロジェクトに入って開発することは逆に迷惑がかかる可能性もあり不安でした。という旨を相談したところ、Androidのクライアントアプリ開発を、プロジェクトというより個人的にやってみたらどうかということになりました。実際Android開発は初めてでしたがちょうど業務外で手をつけてみようと思っていたのでやってみることにしました。
事実ベースで事を話したかったので受験してから真人さんはじめ長瀬さん伊達さん宮村さんにはきちんとお話したのですが、本当に快く応援していただき、今後の業務についてもフレキシブルに対応していただいたこと、すごく感謝しています。この会社のこの組織じゃないと許容されなかったと思うし、目的と今後につながることであれば賛成してもらえるという確信もありました。逆にその確信がなければ受験もしなかったと思います。
9月から2年間、大変なことは重々承知ですが、エンジニア生活を長い目で見て、この2年間だけ学業・研究に勤しむことは無駄なルートではないと思うのです。


と、休んで5休暇@スイスで綴ったのでした。日常から離れてみると頭が整理されて良いですね。
-----菌菌
薬4日夕方:急に吐き気をもよおす。我慢できず17時に早退。
薬4日19時:普段電車のところを最寄り駅までのバスで帰路につく。バスの中でたまたま持っていた袋に嘔吐。その後2回バスを降り3回嘔吐を繰り返す。最終的にはタクシーを呼びいつでも停めてもらえる状態で約1時間半かけて家まで辿り着く。帰った瞬間にまたトイレで嘔吐。
薬4日22時:家で寝るものの吐き気が止まらず胃液を吐きまくる始末。母に連れられ病院へ。救急で診てもらうことに。
薬5日0時:2度の点滴と採血、検査の結果ノロウィルスであることが判明。熱も出てくる。気持ち悪いのを理由にインフル検査は死守。この時点でごねていたスイス行きを諦める。
薬5日3時:タクシーで行き来していた母に迎えに来てもらい、薬をもらってやっと帰宅。そのまま深い眠りへ。
薬5日昼:目覚めると吐き気はすっかり治まり経口摂取可能に。
薬7日昼:重い頭痛のみずっと続く。頭痛慣れしているのでいつもと違うタイプの頭痛に怖くなり薬剤科に問い合わせたところ副作用の可能性は低いそう。飲み合わせは悪くないというイヴを飲み解消。
菌菌-----

という災難でした。
何が災難かって、7日週から弊社福利厚生の休んで5を取得し、いとこのいるスイスへ5日の朝からるんるんで飛び発つ予定だったのです。
昔から決して体が強いとは言えず中学生まではほぼ毎年、大人になってからは2,3年に一度のペースで急性胃腸炎級のウィルスに侵されるあたくし。しかも絶対1-3月のこのQ。思えば受験の時も急に前日に予備校のトイレで吐いて急性胃腸炎になったよな、、免疫力が著しく低いんだと思うので日々階段でフロアまで行くなど軽い運動はするようにしてるのですが。予防接種もかかさずしてるし。
新種の強いウィルスとか出回った日にはいの一番に死に至るんだろーなー。(遠い目

で、スイスはどうなったかと言うと。吐き気がなくなった途端にけろっと元気になり、航空券の行方を知るためHISに電話。直前過ぎてキャンセルできずでしたがこのまま家でごろごろ休んで5を過ごしたらノロウィルスの思うつぼである菌ということでチケット取り直しを検討。以前よりやや高いぐらいでスイスエアラインズがありました。搭乗日が迫っているため早く決断してくださいとのこと。
まだ完治していない中この決断。。ena 迷惑かけまくった母には呆れられ、相方には「どうせお前は迷ったら何言っても行くんだから、行かないで後悔するより行って後悔すれば?」との助言をもらい、当の心配かけた従姉妹には「短くてもUが来たかったらおいで:)」と受け入れてもらい、、まあ、チケット取り直したよね。1日だけお休みを延長させていただきスイス行きを決行しました。
#後にこの判断が東日本大震災を地球の裏側から知ることになるとはつゆ知らず

今回ばかりは次の日仕事なのに夜通しタクシーで行ったり来たりしてくれた母には頭が上がりませんでした。朦朧とした意識の中、帰っていいよと何度も言ったのですが文句を言いながらも様子を見に来てくれ心より救われたものです。