Fuzzy Masayan -8ページ目

Fuzzy Masayan

ある写真屋のぼやき

    昨日、母の命日にあたり墓参りに行って来ました。もうかれこれ34年前になりますが、76歳でした。    糖尿病の末期的症状だったのですが、その後知り得たことで、当時は全く予備知識が無くて、驚き慌てました。   救急搬送されてからわずか15分後に、病院からの電話で絶命したことを告げられました。      ショックで、事実認識ができず、真っ白になって涙も出ませんでした。   命が無くなるということ、消えてしまって二度と会うことが不可能ということ、、、、認識するのに時間がかかりました。   健康であることが当たり前、、バンバン働けるのが当たり前、平凡に生活できていることが当たり前と信じて疑いませんでした。若さ故、は言い訳、でしかありません。    今、人類はかつてない未知のウイルスに脅かされてます。命を失うということは全てが終了です。十分過ぎる程の注意と気配りを怠らず、生きながらえることを念じましょう。

    人生には耐え難い苦痛を天から与えられることがあります。母は34年前のゴールデンウイークに亡くなりましたので、当時ブライダルを主とした撮影をやっていたので、当然ながら休日は式場は予約でいっぱいでした。カメラマンは私一人だけで交代要員はいませんでしたので、ホールには言わずに、連休中は結婚式を撮影続行しました。母の遺体は自宅に置いて仕事を続けざるを得ませんでした。結婚式では勿論、ニコニコ笑顔で「おめでとうございます」の連発です。多分、顔が引きつっていたのではなかと思います。連休明けに無事に葬儀は終わりましたが、ご近所の長老から小言を言われてしまいました。「親を放っておいて、仕事がそんなに大事なのか?」  理解されないと腹は括ってましたが、ああ!これがプロの宿命なんだとつくづく実感しました。最初に入社したスタジオで、先生から開口一番言われたのが「プロカメラマンになったら親の死に目に会えないかもしれないよ」と覚悟を諭されましたが、現実になるとは夢にも思わなかった事でした。こんな平和な仕事なのにと考えていましたから。                       

   それから11年後、家内を若くして、くも膜下で亡くし、更に10年後父親が98歳で亡くなり、一人になってしまいました。つらい話ですが、友人達も何人も他界しており、然も後輩が多いということで残念至極です。     思い起こせば、私自身も、恥ずかしながら 交通事故と心筋梗塞 で二度ほど召されそうになった過去があります。天から預かっている命と考えております。                                                                        今、かつて経験したことのない人類の危機に直面しております。  先が見えにくく何とも言えない不安はありますが、「命あっての物種」です。後輩たちに「いい世の中」を繋いで行くためにも、他人をおもんばかって、協力してウイルスを消滅させましょう。          つづく