Fuzzy Masayan -20ページ目

Fuzzy Masayan

ある写真屋のぼやき

       命の大切さを沢山の人達から 教えられました。そのことを知るにつれ、ポートレート撮影の意味合いも徐々に理解できてきたような気がします。まだまだ朧気にですが。顔の造形を撮るだけのものではなくその方のその時の「生きている証」を記録し、それを未来へ繋いで更なる発展をされることを念じ込めて、シャッターを切る。個人であれ、家族写真であれ,撮るカメラマンの人となりによって画面が変わる事実は偽れません。精進して行かないと、「いい写真」が撮れないばかりか、お客様に失礼だと思います。   お客様の顔なのに、見る人が見れば誰が撮ったのか分かってしまう事実、先輩方のおかげでよくよく認識しました。撮影してる間に、無意識のうちにモデルさんはカメラマンの一挙一動や一言一言から何かを感じ取り、脳に伝わり、その反応が顔の筋肉をを動かし、今の気持ちを瞳に反映させるのかな?、、、、、なんて考えてます。考えてみれば怖い事です。                         しかし、今の自分は自分以上でもないし自分以下でもない!従って、自分以上の写真は撮りようもない。やってこなかったことは分かるはずはないし、勉強してないことは出来ないし。開き直るしかありません。、、、、、ということで、どんな仕事でも全力投球でやる。ありのままの自分をぶっつけて撮る。結果、ダメでもそれが実力と思えです。ただ、精進はしないといけません。   というわけで未だ修行中で す。

       でも、すべては「命」あればこそです。父は太平洋戦争に従軍しカメラの代わりに銃を持って中国へ出征し、旧満洲国でで捕虜になり、シベリアで抑留を余儀なくされ強制労働に明け暮れたそうです。父が言うには、昭和の初期辺りの農家に生まれた子供達は、ある程度の働ける年齢に達すると、「お礼奉公」と云って数年間無給で働いてから、恩返しをして家を出たそうです。そのおかげで、田んぼで鍛えた強靭な肉体が培われて、過酷なシベリアの生活にも耐えられたそうです。それでこの私が今存在できているのです。今、とんでもないウイルスが、人類を脅かしておりますが、すべては「命」あればこそです。その命を繋いでゆく義務があります、後輩の繁栄の為に。         つづく