Fuzzy Masayan -18ページ目

Fuzzy Masayan

ある写真屋のぼやき

   ポートレートを撮っていても風景を撮影している時も、心 の奥底に流れている原風景は、母が歌っていた子守唄に起因するものなのかなと 時折考えることがあります。赤ちゃんの写真はママが撮ったものより愛情の深さでは敵いません。でも仕事ですからよりいいものを目指すのは当然です。柴田先生の仰りたかったのは、コミュニケーション力のことだったのかなと思います。自分の赤ちゃん時代を覚えているわけはなく、覚えてるような気がするのは、母の背中のぬくもりと子守唄のトーンは脳裏に何となく焼き付いているような、、、、、。妹や弟もいましたので、彼らがおんぶされていた時は、母が必ず子守唄や童謡を歌っていました。いろいろな歌を自然に聞いていたのですね。それが今頃になって甦って来て、赤ちゃんを撮影していると、感覚的に重なってきます。今、菜の花の黄色や桜のピンクが目に入ると、童謡や唱歌が自然に頭をよぎり、メロデイが流れてきます。思春期から成人に至る年代には全く意に介すこともなかったのですが、年齢を重ねてくるにしたがって、母の温かさを思い出してきます。その感覚を維持しながらファインダーを覗きます。赤ちゃんのお顔を見てるとこちらが笑顔になってしまいます。俺も人の子なんだなあ!とつくずく思います。この思いを繋いでゆくことが責務なんだと、シャッターを切ります。    つづく