家族写真はなぜ撮るんだろう? 写真屋に生まれ育って、写真の学校へ行って、写真館で修業して、家に戻って二代目の写真屋になりましたので、、なりわいとしてしか考えておりませんでした。がしかし、景気の良い時代が過ぎて、この道で食ってゆくのが微妙に難しくなってきた頃から、写真館まで来て何で家族の写真を撮影して残したいのかな?、、、、、考えるようになりました。未だよく分かりませんが?若い頃は数字とテクニックに邁進するのみで、いい写真を撮る努力より売れる写真を撮ることしか考えてなかったと思います。徐々に歳を重ねてくるにつれ、貴重なお金を出して頂いて家族の写真をを撮影に来られる意味合いを考えるようになりました。若い頃はやれ構図だのライティングだのと、絵面の良し悪しばかりにとらわれて、被写体であるお客様の想いや立場をおもんばかることはありませんでした。若気の至りで、相手の思いを汲み取ることよりも「俺、俺が撮る!」が先に出てしまい、結果的にお客様を無視することになってしまった。この辺が小川棟梁に指摘される所だったのかなと反省しております。写真家は俺の作品でいいのですが、写真屋は自分ではなく相手の想いを表現するのが仕事ですから。 家族写真はその家族の暮らしの時間経過の中の一時を切り取り、映像に収める記録です。今の我が家の有り様を写真として残す。爺ちゃん祖母ちゃん、父母兄弟、孫ひ孫、ワンちゃんにゃんこさんまで、皆その時点で一緒に暮らしている家族が全員集合。一枚の写真には現在の一人一人が写っています。それぞれの現在までの人生が映り込んでいます。おばあちゃんおじいちゃんの親、更にその親と江戸時代、平安時代へと辿れます。もしかしたら海外に繋がっているかも?です。同じⅮÑAで繋がっています。それは認めるしかない、逆らえません。私の父方の本家の蔵から四代前の当主夫妻のの写真や肖像画が見つかり、処分される直前に複写する事が出来ました。母方の親族で江戸時代末期に生まれて明治にに活躍した人物の肖像写真を数年前にi、隣町で偶然に見ることが出来ました。遠い親戚ですが、驚いたのは顔立ちの骨格がそっくりで、目つきがよく似ているおころでした。もちろん父方のご先祖様も親父の顔立ちでした。 今ここに、命あって生きながらえてる自分の存在に、驚くやら感謝するやら、複雑な気分です。ご先祖の肖像写真は、何か言いたいのか?ジーと見てるとドキドキしてきます。その集合写真が家族写真です。何をかいわんや、様々な想いや生き様がが押し込まれています。でも、写したいのは未来に向かう家族の今の姿です。将来に幸多かれと気を入れてシャッターを切ります。集合としては「和」を持って❣個人には「幸」多かれと、パワー集中してレリーズをを押します。 つづく
