そして子供らは成長する 何も知らない

深い眼の色をして 成長して そして死ぬ

そして人はみな それぞれおのれの道を行く

 

そして酸い果実はやがて甘く熟れ

夜となれば 死んだ鳥のように地に落ち

そして幾日かが過ぎ そして腐る

 

そして風はたえず吹き くり返しわれらは

数多の言葉を耳にし 口にし

そして肉体のよろこびと疲れとを感ずる

 

そして往還は草のあいだを走り 村々が

そこかしこに横たわる 到る所に松明 木立 池

そして威嚇にみちた また死のように荒れはてた村……

 

何のためにこれらは設けられたのか? どうして同じい

ものがないのか? どうしてこれほど数多いのか?

どうして移り変るのか 笑いと 涙と 死が?

 

こんなことが何になるのか このはかない戯れが?

無心の日々を遠ざかり 永劫に孤独な

さすらいの目途(めあて)をついにもとめ得ないわれらにとって?

 

こんなことを多く見たとて何になるのか? だがしかし

誰かがふと「夕ぐれ」というならば その味いはどうだろう?

たった一つのこの言葉から 深い意味と哀しみがしたたる

さながらうつろな蜂窩(はちのす)から 濃い蜜のしたたり出るように

 

 

ウィーン生まれの詩人・劇作家ホフマンスタール(1874-1929)は、早熟の神童として10代から20代にかけて詩を作ったが、若くして詩を放棄して本格的に劇作に向かった。西欧の詩的伝統を踏まえたその詩は、温柔であり幽艶であり典雅である。ホフマンスタールの“幻視的世界認識”は、常に大いなる連関へと向けられていた。