マルグリット・デュラスの『ヴィオルヌの犯罪』読了。
人体の多くの断片が、ほとんどフランス全土にわたって、さまざまな貨車の中から発見された。被害者は極度の肥満体の女性、そしてこれらの断片を運んだ列車は同一地点ーヴィオルヌの陸橋を通過していることが判明した。だが、いまだに頭部のみは発見されていない…。デュラスが実際の事件に取材し、十年の歳月をかけて結実させた「狂気」をめぐる凄絶な物語。
1954年に実際に起きた「動機なき殺人」に材を取った長編。
原題は「L'Amante anglaise(イギリス人の恋人)』だが、
訳者の田中倫郎による解説によると、
西洋薄荷草(La menthe anglaise)の綴り間違いで掛言葉になっているらしい。
が、そのまま直訳するとそのニュアンスが伝わらないということで、
作者のデュラスと交渉の末、このような邦題となったとのことだ。
対話形式の作品だが、途中、空白行が挟まれたりと、その意味をよく考えながら、
言い換えると物語の流れを自分で組み立てながら読む必要のある作品である。
それが却ってミステリーを読むような感触を醸し出してくるのだが、
結末(動機)は明らかにならないまま呆気なく終わってしまう。
しかしそれが逆に作品にある種の疾走感、
デュラスの遅延的な文体とは真逆の疾走感を与えているとも言える。
デュラスは『モデラート・カンタービレ』でもそうだったが、
生涯ある種の『狂気」を主題としていたように思う。
それは名付けられ(診断され)隔離され訓育されるような特殊な「狂気」ではなく、
ヒトが人として生きる上で嫌が応にも向き合わざるを得なくなる「狂気」というか、
ふとある瞬間(逢魔が時)、人の心のなかに忍び込んでくる(「魔が差す」)ような、
そんな「狂気」を取り上げ続けたように思う。
何気ない日常、絶え間ない繰り返しの中で、
嫌でも変化しなければ生きていかれないような瞬間というのが、
人間には訪れることがある。
デュラスはそうした瞬間を捕まえて的確に摘出するのだ。
読者もまた、その瞬間を目の当たりにして、変化せざるを得なくなる。
これこそまさにデュラス的Illusionと呼ぶべきだろう。