森嶋道夫著『思想としての近代経済学』読了。
近代経済学はどのような価値観,社会像にもとづいて形成されたのか.ワルラス,シュンペーター,ケインズ,ヒックスらの描いたビジョンを検討するとともに,壮大な理論体系の構築をめざしたマルクス,ウェーバーらの思想をも根底から問い直す.現代社会の激しい変貌を見すえつつ従来の通説にとらわれずに展開する,創見に満ちた経済学観.
とりあげられるのは、順番に、リカード、ワルラス、シュンペーター、ヒックス、高田保馬、ヴィクセル、マルクス、ヴェーバー、パレート、フォン・ミーゼス、そしてケインズである。
このうち社会学者であるヴェーバーが最も多い3章にわたって取り上げられているのは異例なことかもしれない。
だが著者としてはそれだけヴェーバーについて書くことが重要だったのだろう。
僕個人としては、彼の官僚制に関する分析は今日でも十分に評価できるとしても、所謂『プロ倫』におけるような、特定の宗派の倫理観が資本主義の発達につながったとするような見方はほぼ旧世代のものであり、時代遅れだろうと思う。
実際、近代資本主義は、プロテスタントの禁欲というよりは、W.ゾンバルトが分析してしているように、王侯や貴族、ブルジョワ層の贅沢文化によって発展したものだからである。
それが主にユダヤ資本によってなされていたため、19世紀の終わり頃からユダヤ人は社会的に標的にされるようになり、ドレフュス事件などを経てホロコーストへと至るようになる。
とまあそれはともあれ、本書で著者が近代経済学の最大のテーマとしているのが「耐久財のディレンマ」と「(反)セイの法則」である。
「セイの法則」とは、「供給が需要を創出する」とされる、現代でも各国の経済財政政策の主流の見方となるものを前提づけている法則である。
リカード以来、常識とされてきたこの法則が、著者によれば、第一次大戦前夜から現実の経済には適用できないものとなっていたという。
それゆえ、この現実と法則(学説)の乖離こそが、現在の世界的な経済問題(失業や不景気など)の大元となっている、と著者は指摘する。
僕は経済の専門家でもないし、数学もあまりできないので、ここで著者の意見を詳細に擁護したりまたは反対したりもできないのだけど、直観的には、まあそうだろうなという気がした。
本書で一点だけ残念だったのは、著者も影響を受けたとされ、「左翼のケインズ」とも呼ばれたM.カレツキを取り上げていなかったことだろうか。
カレツキの評伝や解説書は今もほとんどないので、取り上げられていれば、さらに貴重な書籍となったことだろう。