樋口一葉『たけくらべ』読了。

 

森鷗外、幸田露伴に絶賛された明治女流文学の第一人者。
24歳6ヵ月の人生、その晩年に矢継ぎ早に書かれた名作8作を収録。

落ちぶれた愛人の源七とも自由に逢えず、自暴自棄の日を送る銘酒屋のお力を通して、社会の底辺で悶える女を描いた『にごりえ』。今を盛りの遊女を姉に持つ14歳の美登利と、ゆくゆくは僧侶になる定めの信如との思春期の淡く密かな恋を描いた『たけくらべ』。他に『十三夜』『大つごもり』等、明治文壇を彩る天才女流作家一葉の、人生への哀歓と美しい夢を織り込んだ短編全8編を収録する。用語、時代背景などについての詳細な注解および年譜を付す。

目次
にごりえ
十三夜
たけくらべ
大つごもり
ゆく雲
うつせみ
われから
わかれ道
注解・解説:三好行雄

本書「解説」より
彼女の文学は、封建の霧がふかい未熟な近代を生きた庶民層の暗さと、とりわけ社会の矛盾がしわよせられてゆくもっとも弱い部分、つまり女性のどうしようもない悲劇との、まさに正確な〈写し絵〉となりえたのである。救うことはできない、しかし、悲しさをわけもつことはできるという、女であることの慟哭をバネにして、一葉は女たちの悲劇を書く。だから、『にごりえ』がそうであり、『十三夜』がそうであったように、一葉文学のリアリティの根拠は悲劇の解決を放棄したところに成立する。
――三好行雄(文芸評論家)

 

鴎外にも絶賛された近代日本文学史上の傑作の一つだが、

僕は読んでいるうちになぜか『白線流し』を連想してしまった。

 

 

 

 

青春メロドラマというか、そういうところもそうなのだが、

それ以上に、作品の背景となる社会構造が似ている、と思ったのだ。

 

本作が発表されたのは1895年、日清戦争後の下関条約が締結された年である。

物語そのものは寺の跡継ぎ信如と遊女の姉を持つ美登利との淡い恋物語だが、

その背景には、江戸時代からある身分制に加え、

戊辰戦争から日清戦争までの間に築かれた明治日本の格差社会がある。

約100年後に放送された『白線流し』にも、身分制はともかくとしても、

一種の格差社会がドラマの背景となっていたように記憶している。

 

一葉は士族の生まれだったが、長兄と父を相次いで亡くし、家は没落した。

下谷近辺を転々としながら雑貨屋などを営むが生活は苦しく、

親族は固より果ては見知らぬ人にまで借金を願い出たほどであったという。

一葉はそうした中で作品を書き続け、1894年からの所謂「奇蹟の一年間」で、

『大つごもり』『にごりえ』『たけくらべ』『十三夜』などの傑作を遺し、

1896年、結核により早逝した。24歳であった。

それはまるで明治に生きた女性たちのモデルのような生き方だったと言えるだろう。

本書に同じく収められている『にごりえ』は遊女お力が情死するまでの話だが、

ある意味で一葉は文学と情死したとも言えるかもしれない。

 

本書の解説で三好行雄が次のように書いている。

…『たけくらべ』に少年の詩だけを読むのは、少し片手落ち(注:原文ママ)である。一葉が『にごりえ』の作家であることを見すごしてはならない。彼女は、たとえば美登利の未来にお力の悲劇を見ていたはずだ。だけでなく、信如にしても長吉にしても、ここに描かれている子どもたちのすべてが土地と家に縛られて、未来の生を決定されている。一葉は、これもまた明治の風俗であった立身出世の衝動にうながされて、自由な未来を夢見る子どもをひとりも描いていない。信如が父の跡を継ぐべく、<我が宗の修行の庭に立出る>消息を描いて、小説を収束させた一葉の筆はこころにくいまで巧妙である。<信如が何がしの学林に袖の色かへぬべき当日>に、なにかが確実に終わった。

 

「大人になりたくない」という心性を

ピーターパンシンドローム」と呼ぶこともあるが、

実際にオトナの世界というのはかなり汚れきっている部分もある。

思春期には得てしてそういうオトナの側面に反発しがちだが、

『たけくらべ』を読むと、

今も昔もそういうところで人間は変わっていないのだなと思う。