斎藤美奈子著『紅一点論』読了。
面白かった。
「男の中に女がひとり」は、テレビやアニメで非常に見慣れた光景である。その数少ない座を射止めた「紅一点」のヒロイン像とは。「魔法少女は父親にとっての理想の娘である」「(紅一点の)紅の戦士は“職場の花”である」「結婚しないセクシーな大人の女は悪の女王である」など見事なフレ−ズでメディアにあふれる紅一点のヒロインとそれを取り巻く世界を看破する評論。
紅一点の国(アニメの国
魔法少女と紅の戦士
伝記の国 ほか)
紅の勇者(少女戦士への道―『リボンの騎士』『ハニー』『セーラームーン』
組織の力学―『ヤマト』『ガンダム』『エヴァンゲリオン』
救国の少女―『コナン』『ナウシカ』『もののけ姫』 ほか)
紅の偉人(天使の虚偽―フローレンス・ナイチンゲール
科学者の恋―マリー・スクロドフスカ・キュリー
異能の人―ヘレン・ケラー ほか)
「紅一点」という言葉がある。
元は王安石の漢詩の一節らしいが、
まあ「伝統的」な日本を示す言葉と言えるだろう。
本書が面白いのは、このことをアニメや特撮作品、そして伝記という領域から
見事に分析して見せた点だろう。
その爽快さは抱腹絶倒のもので、
石丸伸二の「論破」なんかで留飲を下げてるような連中は、
もっとこういう本を読んでユーモアというものを学んだ方がよい。
本書で最も印象に残った、そして、著者が最も訴えたかったであろう文章がある。
萬緑叢中紅一点は、けっして健全な状況ではない。それじたいが不健全なのではなく、それだけが幅をきかせていることが不健全なのである。緑全部・萬緑叢中紅一点・緑紅半々・萬紅花中緑一点・紅全部……。さまざまな男女比の組織やチームが当たり前に存在するようになったとき、はじめて私たちは男女比なんていう些末事にわずらわされなくなるだろう。(「あとがき」より)
本当にその通りだと思うし、都知事選後の各種メディアや芸能人、
コメンテーターなどが蓮舫さんをあげつらう現状を見ていると、
こういう「伝統的」な日本が「不健全」な状態であることは
今もなお変わってないと痛感する。
問題指摘を「批判」。私的に会ったこともない連絡先も知らない「友人」が私を論評。週刊誌では創造力豊かな憶測で晒される。
— 蓮舫🗼RENHO🇯🇵 (@renho_sha) July 8, 2024
権力に頭を下げないと認められない屈辱だけには与しません。
さあ、今日も暑くなりそうですね。
体調管理にお気をつけてください。
ところで、蓮舫さんの言葉を借りれば、
「権力に頭を下げ」て「認められ」ている女性のことを、
「クインビー症候群」というのだそうである。
今なら都知事三選を決めた小池百合子が正にこうした人物像にあてはまるだろう。
こうした女性は今の新自由主義的な風潮と相性がいいのである(M.サッチャー!)
第三部にあたる「紅の偉人」で語られる伝記の神話化には、
C.G.ユングが提唱していた「元型」概念、
なかでも「グレート・マザー(太母)」元型や「アニマ」元型が
深く関わってくるのでは?と思った。
ユングは元型に表れたこうした女性像は、
現実の生物学的な性(sex)とは関係がないものとして捉えていた。
ユング心理学は「元型心理学」と呼んでもいいくらいに元型を重視するのであるが,この元型とは人間の歴史的体験の結晶であり,そこには悠久な自然の法則性がすべて反映している。ユングはそれを「内なる先祖」と呼んで,個々人はそれとの調和を図ることが大切だと述べている。つまりわれわれ人間には,われわれの発想や行動を先導する適正な水路の役割をする心的な働きが生まれつき備わっており,それは元型的なイメージとしてわれわれに知覚される。この生得的な心的働きをユングは「内なる自然」といったのである。
◇目次
はじめに
一 心はもう一つの現実
夢は現実である/無意識は実在する「/よい子」コンプレックス
ケプラーのインスピレーション/無意識は人を動かす/層をなす心の構造
普遍的無意識/祖先の体験が生んだもの/元型は文化を生み出す
『ファウスト』第二部/イメージはただの幻か/観察という方法
二 ユングの人となり――両面性
内向的性格/学校不適応/母の二つの顔/心の分裂性/カンテラの夢/進学の悩み
三 ユングとフロイト、そしてタイプ論
精神科医として出発/患者の心の理解/フロイトとの出会い/夢はだまさない
自分に暗いフロイト/決別と暗闇体験/タイプの違いという発想/外向性と内向性
現代社会の外向的性格/意識的態度と無意識的態度と
四 人格の危機と統合――個性化
「内なる他者」との対決/ジークフリートの角笛/東洋との出会い/太母と英雄神話
影=闇の世界/アニマとアニムス/女性の心理の独自性/精神の元型
老賢者とマンダラ/塔の家/内なる先祖との結びつき
五 自分の宗教・自分の神話
神はグロテスクだった/教会を破壊する神/内的体験と信仰告白/正統と異端
不条理な神、ヤーヴェ/元型としてのイエス像/キリスト教の一面性
グノーシス主義への傾倒/錬金術師が求めたものは/神話としての宗教
神話を追放したプロテスタンティズム/自分の神話
六 文明批判とナチス論
太陽の息子の気品/UFOの魔法の幻灯/ヴォータン元型と秩序元型/元型の両面性
病理現象としてのナチス/ユングの処方箋/差別への加担か?/守りに徹した政治的実践
七 ユング思想の特徴
革命性と健全性/強靱で柔軟な意識/感情のコントロール/内なる自然
あとがき
年譜
さくいん
14世紀のルネサンスに始まり18世紀啓蒙主義の時代に至るまで、
自由とは迷妄からの自由を指していた。
つまり、今の言葉で言えば無意識の世界もまた迷妄として捉え、
そこから脱しようとすること(完全に脱するのは無理だとしても)こそが、
本当の意味での自由なのだ。
今の「伝統的」な日本社会に必要なのは、
そうした本当の意味での自由にほかならない。